真夏のアルバニア滞在記 1998年8月4日〜8月21日

 1998年8月4日から同21日まで、夏休みを過ごしにヴィーン経由でアルバニアの首都ティラナを訪れました。前年秋の様な過密スケジュールではありませんが、印象に残った事項を紹介します。

当報告は、著者の怠慢とコソヴォ情勢激化のため、一年近く経っても完成しておりません。しかし次なる『アルバニアの夏休み』が間近に迫っているため、とりあえず書いた分だけ掲載しております。何卒御容赦を]
 

8月4日(火)
 個人的な趣味として、アルバニアへはドイツ語圏を経由するのがいい。ミュンヘンとかヴィーンとかツューリヒなんて、乗り替え滞在には最適だ。だから尚更、日本〜ミュンヘン直航便が存在しないのは本当に不思議な話だ。開通したらきっとドル箱路線、否、マルク箱路線、否々、ユーロ箱路線になるだろうに。
 初っ端から閑話休題。
 昨年同様、今回も前日夜に高速バスで広島を出発。早朝の関西国際空港に到着、3階の国際線ロビーから前回同様オーストリア航空機に搭乗。夏休みのど真中の観光シーズン、しかも(乗り換えとはいえ)日本人観光客の集中するヴィーンへ向かうということで、航空券を取れたのは幸運だった。
 同じ日の夕方、シュヴェヒャート Schwechat 空港に到着。8月のオーストリアはやっぱり暑い。湿度が低くても暑いことに変わりはない。この分だと、地中海に面したあちらの国はどうなっているのやら。何しろ、夏のアルバニアには行ったことがないのだ。
 空港から郊外近距離鉄道(S-Bahn)と地下鉄(U-Bahn)で市中心部へ入り、ドナウ運河に面した Schwedenplatz で下車。そこから徒歩1分、日本から予約しておいたホテル(Pension Dr.Geissler, Postgasse 14)に投宿。ちなみにここは、前回アルバニア行からの帰途に日本・アルバニア協会の2名とたまたま(つまり空港の紹介所の案内で)泊まった所なのだが、街のほぼ中心部にあり、部屋は少々古いが静かで寝心地も良く、国際観光都市にしては宿泊費も悪くない(900シリング)ので、今回も世話になることにした。荷物を部屋に置き、外へ出てみたが、既に午後6時過ぎで商店は次々と閉店、または閉店寸前の雰囲気。で、散策は適当に切り上げて帰還。部屋でテレビを視て寝る。オーストリアのLassing鉱山で地盤陥没があり、住民が生き埋めになったという事故が連日報道されている。ドイツの Helmut Kohl 首相は避暑地の Wolfgangsee で連邦議会選挙(9月27日)に向けて抱負を語っていた。それでも社会民主党の優位は変わらない。
 クーラーはないので窓全開。夜空にシュテファン寺院 St.Stephan がよく見える。


8月5日(水)
 ヴィーン2日目にしてティラナ1日目。未明に雷雨があったせいか、朝の街はひんやりとしていた。久し振りにドイツ風丸パン Semmel とソーセージ Wurst、チーズ Käse にコーヒー Kaffee の朝食を済ませ、19日夜の予約を確認すると、別に用事もないので空港へ直行。
 オーストリア航空機(やっぱり小型機)で1時間半強。ティラナのリナス Rinas 空港へ。機内では、イタリアで出されているアルバニア語日刊紙 Gazeta Shqiptare が配られていた。オーストリア航空機内でアルバニア語紙のサーヴィスというのは、私の知る限り初めてである。機内食に「豚肉は使用しておりません」の紙片が添えてあるのは相変わらずだ。窓外の風景も変わらない。ただ夏のせいか、何となく乾燥して見える。隣席のアルバニア人はミュンヘンで獣医をしており、日本人の女性で音大生(最もありがちな在独日本人留学生の様な気がする)の知り合いがいるという。ドイツ語のタブロイド紙を音読している姿が興味深い。
 アルバニアに近付くと、例によって機内で「出入国カード」が配られた。昨年同様、観光目的程度の日本人旅行者は、カードに必要事項を記入し、パスポートと一緒に税関へ提出すれば、ヴィザなしで入国できる。ただ、昨年は10ドルだった入国手数料が今回5ドルになっているのには、相変わらずわけが分からない。
 空港出口に来ると、書店経営者のエストレフ・ベガ Estref Bega 氏が待っていて、いつもの様に自宅まで連れて行ってくれる…はずが、誰もいない。到着日時は手紙で知らせておいたはずだ。それも書留で。
 空港入口で、寄って来る「タクシーは?」の声に「友達が来る」と返している間に1時間が経過してしまった。時刻は正午過ぎ。予想通りの殺人的な暑さで、立っているだけで汗まみれになる。道路の照り返しがまた強烈。
 近くの売店でテレフォンカードを購入し、ティラナ市内のエストレフ宅へ電話をかけてみると、昼飯前でやけに元気な本人の声が響いてきた。聞けば、手紙を書留で出したところ到着に時間がかかり、つい15分ばかり前に知らせを受け取ったばかりで、車を用意する時間もなかったらしい。「念の為に書留で送ったのに…」「だったらどうして書留なんかで送るんだね?」という、どこか変な遣り取り。仕方なく、先程から世間話の相手をしていた警備員の弟(兄?)が運転するタクシーに乗せて貰うことにした。料金はどの車でも2000レク、または20ドル。以前は車によって目茶苦茶に料金が違っていたが、最近は「見えざる手」が作用したのか、落ち着く所に落ち着いたらしい。空港から市中心部までの道路は特に変化なしだが、途中に一カ所だけ迂回路が造られていた。
 ドゥラス Durrës 通りからペルメト会議 Kongresi i Përmetit 通りへ入ると、いつも何かしら横断幕がかけてある(『ユーモアの日』とか『健康週間』とか)ところに今回は「NDIHMONI KOSOVËN(コソヴォを救え)」とある。そこを抜けて首都中央のスカンデルベウ Skënderbeu 広場へ出ると、国立劇場の正面に巨大な看板が掛かっており、アルバニアの鷲と「NJË KOMB NJË QËNDRIM(一つの民族、一つの姿勢)」のスローガン。時あたかも、北隣のコソヴォでは連日戦闘が続いていた。
 道中、運転手に指摘されて気付いたが、昨年まで砂利道だった場所の多くがアスファルトで舗装されているし、建築中のビルもやたらと目に付く。
 カヴァヤKavaj 通りからナイム・フラシャリ Naim Frashëri 通りに入った所で車を降りると、エストレフの自宅があるアパートはすぐ目前である。彼の書斎兼会社も相変わらずだが、前からあったコンピュータに電子メール機能が備わったのは大した変化だ。息子エドヴィンEdvin(通称エディ Edi)はどこへ行ったか不在だったが、秘書役のミレナ・ゾト Mirela Zoto はいた。昼食を口にしながら、エストレフはつい最近ラミズ・アリア Ramiz Alia とエンヴェル・ホヂャ Enver Hoxha の旧宅で会見した話を面白そうにしていた。
 昼寝の後、夜7時近くになって散歩と買い物に連れ出される。冬でも多い夕刻の散歩者は、日没の遅い夏ということで更に多く、道端にも商店にもカフェにも老若男女がうろうろしている。カフェの内外には煙草や菓子の箱を抱えて売り歩く小学生らしき男子が多い。後日テレビのニュースで知ったのだが、この子供達は生活苦の故というよりむしろ夏休みの小遣い稼ぎでアルバイトしている子がほとんどらしい。そう言えば、以前は郵便局にしかなかった公衆電話が歩道のあちこちに新設されているのには驚いた。どの電話器の前にも行列が出来ていて、テレカ売りがカードの束をちらつかせている(カードは本屋のキオスクでも売られている)。たった1年で何という変わり様か。
 8時過ぎ夕食。定時ニュースの第一報はやはりコソヴォ情勢。戦闘状況、死傷者数、国境での避難民の暮らし、西欧各国の対応等、実に詳細である。こうした報道姿勢は連日続いた。一方で、中国の水害はユーロニュースをそのまま流すだけだし、和歌山のカレー事件(この時はまだ『青酸カレー事件』だった)など、一度たりとも話題にされることはなかった。まあ、そんなものなのだろう。
 今回はエディの部屋をあてがわれる。ではエディはどこに?


8月6日(木)
 エディは近所で一人暮しをしていた。その恋人はエドリラ Edlira。彼女はアルバニアの有力出版社の一つ「MÇMチャベイ[『メ・チェ・メ・チャベイ』と読む] MÇM Çabej」に勤めているそうだ。
 朝7時頃、まとめて新聞が コソヴォ民主同盟機関紙「リリンディヤ Rilindja」「トロポヤ Tropojë では無料配布」と色刷りしてある
 予想通り、慢性的な水不足が続いていた。洗面中の時点で蛇口からちょろちょろとしか流れていなかった水は、間もなく全然出なくなった。もちろん、洗面所の床にも台所にも、水入りPETボトルが多数準備されてはいるのだが。朝食は例のごとくアルバニアのパン、アルバニアのチーズ、アルバニアの牛乳、それにアルバニアのトマトにキュウリ、ついでに輸入品のマーガリン。夏なので、今までの滞在時よりも野菜の消費量が格段に多い。おかげで、滞在中は腹の中が何やら水っぽかった。
 午前中、エディが呼んだ車に便乗して街へ出る。ホテル「エウロパパーク Rogner Europapark(皆『ログネル』と発音しているが、『ロニェ』じゃないのか?)」内のオーストリア航空(兼スイス航空)支社で予約の再確認。「イウラ?」と女性の声で呼びかけられたので見ると、エロナ・タバク Elona Tabaku が御馴染みの赤い制服姿で隣のカウンターに座っている。彼女は、大蔵省予算課に勤める旧友ジェルジ・テネチェヂウ Gjergj Teneqexhiu の恋人だが、二人の結婚話は進んでいるのだろうか?
 道端で新聞を買うのは毎度の話。党派系各紙と並んで、独立紙「コハ・ヨネ Koha Jonë(我らの時代)」は健在だ。加えて、昨年来た時はそれ程の人気が見えなかった日刊紙「シェクリ Shekulli(世紀)」の店頭販売部数がやけに多い。
 イスマイル・カダレ Ismail Kadare の小説「夢宮殿 Pallati i Ëndrrave」の新版をエストレフ宅で目にしたので、自分の分を買おうとあちらこちらの本屋で聞いて回ったが、見当たらない。その内、暑さでひどく喉が乾いてきたのでひとまず本探しはあきらめた。見知らぬカフェより、知っている人のいる所がいいだろうと、昨年日本・アルバニア協会の人達が泊まったホテル「ステラ Stela」のレストランへ行く。エストレフの階下の住人でホテルの経営者でもあるスピロ Spiro を当てにして訪ねたが、あいにく不在だった。しかし他の従業員は私を憶えていたらしく、ファンタオレンジを1本だけ御馳走になる。
 前回の滞在で余ったレクも残り少ないので、50ドルばかり両替えしようとスカンデルベウ広場の周辺へ戻ったが、例のヤミ両替商達の数が随分減っている。ヤミ相場の力が相対的に低下したか、それとも単に暑いからなのかは分からない。そこでDHLの隣の銀行に入ったのだが、日本で準備した新品のドル紙幣が偽札検査器を通らず、結局10ドルだけしか両替えして貰えなかった。行員に旅行目的まであれこれ尋ねられたのは、尋問だったのか、単なる親しみや興味本位だったのか(アルバニアで制服姿の人から話しかけられる際いつも迷う点である)。ちなみに、10ドルは1430レクになった。まあ悪くない。
 夏休みを過ごしに来た、と言っても、全く用事を携えて来なかったわけではない。昔から購読している社会党機関紙「ゼリ・イ・ポプリト Zëri i Popullit(人民の声)」が、購読料の小切手を送ったにも関わらず、1部も広島の自宅に届いていない。ティラナで直接事情を聞こうと考えていたので、「殉国者」大通り Bulevardi "Dëshmorët e Kombit" にある編集部の建物に赴くと、入り口で、前回知り合いになった広報部のアルベルト・シャラ Albert Shala とアルフレド・ダリピ Alfred Dalipi に面会を申し入れた。が、あいにく両者とも外出中。この日それ以上の行動は断念して帰宅した。
  歯医者 Roza
 「クラン Klan」 Ardian Klosi が局長?!


8月7日(金)
 昨日は8月6日だったが、特に大した報道があった形跡はない。私自身ラジオでしか聴いていない。もっとも、昼過ぎのニュースでは式典の様子が放送されていたそうだ。エストレフや年配のアルバニア人は、オブチはインドやパキスタンの代表なんかと一緒にいてよく平気な顔をしていられる、といぶかし気に感想を述べていた。でそのついでに、日本はアメリカに核攻撃されたのに何でアメリカと仲が良いのか、というのもこの世代からよく出る質問だ。
郵便局で絵葉書を
両替
「ゼリ・イ・ポプリト」編集部
アルフレド・ダリピ
ルアン・セフェリ Luan Seferi


8月8日(土)
Durrës 海水パンツ うなぎ 果物 飛ばす車、後部座席にQur'an
200ドル?! 付き合ってられないので新聞を買いに出る
エリサ・リラ Elisa Lila 若干16歳?


8月9日(日)
「ゼリ・イ・セ・ヴェルテテ Zëri i së vertetë 」「真実の声」という意味になるが
科学アカデミー傍の書店で言語学雑誌
ここにも「夢宮殿」はない
テレビ Victor Eftimiu ルーマニア作家 生まれ故郷クルヤ ルーマニア語のみ カダレが ブクレシュトの科学アカデミーは綺麗


8月10日(月)
 終日在宅
 エチレム・チャベイ祈念 国際セミナーがあるらしい 夕方停電


8月11日(火)
 この日、本格的に本を買う 両替
 銀行傍の書店(1996年春ここでカダレと偶然) 日本へいったことのある女性
 ピラミッド(国際文化センター)の向かいの歩道にある本屋のボックスで「冬の終わりのコンサート」を見かけて買い求めたら「カダレに興味があるの?」 「夢宮殿」、それも探し求めていた最新版 おそらくアルバニア語で出版された最初で最後のヴァージョンだろう[9月22日に久留米でカダレ本人に確認]
 取り敢えずベティム・ムチョに電話 ジェルジにはつながらず


8月12日(水)
 朝、エディがやって来て「君に招待状だ」
 国立歴史博物館
 エドリラの誕生日 「イウラ、100ドル貸してくれ」
 夕方、どうにか機嫌を直したエストレフに昔の写真を見せて貰う
 コソヴォのデチャン Deçan からの一家 ジェルジまたもつながらず


8月13日(木)
 昨日の記事を求めて新聞を買いまくる やはり「シェクリ」にはちゃんと記事が
 大蔵省へ
 同僚ミモザ Mimoza あなたテレビ出てたでしょ!
 レディナ Ledina ああこの人か
 パンディ・マヅィ Pandi Madhi 彫刻家グリ・マヅィ Guri Madhiの息子
 レディナ他1名とピラミッド地下のギャラリー兼カフェで ジェルジやっと結婚!
 地震の話
 イタロ・アルバニア銀行前の土産物屋のキオスクでビデオ


8月14日(金)
 大蔵省 兵士「証明書を」「友達が」 時間なし 月曜日に食事

 高校数学と生物学、それにアルバニア語(『国語』ということになる)の教科書

「ペルメト会議」通りと「2月4日の殉死者」通りが交差する所にある銀細工の店で10ドル程度の買い物。初めてアルバニアに来た時に教えてもらったこの店には、毎年必ず何かを買いに行く。「私を憶えてるか?」「毎年来るね」 「中国や朝鮮( Korejaで『北』か『南』か不明。多分『南』だろう)は援助や投資してくれるのに日本は全然」「日本人はアルバニアのことを殆ど知らないんです。しかし、いずれもっとましになると思います」手を軽く挙げて「インシャラー」

 アイスクリーム ヴァスィル・メロ Vasil Melo 人権同盟党(PBDNj)とガチョ・ブシャカ


8月15日(土)
 ベティムに電話 翌日海水浴の件 DHLで
 早目に帰宅 一人でいるとエディが 証明書の発行に100ドル
 コソヴォの青年 兄弟が解放軍 アイスクリーム ホテル探し


8月16日(日)
 コソヴォの青年を残して外出。ベティムとマルタ、娘と息子
 カセタ ガゼタ
 「サン・マルコ大隊 Bataglioni San Marco」
 物理学者とその一家 浜辺のホテル エディは金の使い方を間違えている
 ベティムの実家 小学生位の息子がビールを飲む 父は技術者 中国人は 昼寝


8月17日(月)
 大蔵省
 兵士でなくワイシャツ姿の職員「どちらへ」「友達が」「どちらの」「予算課」
 コハ・ヨネの記者
 昼食 ロベルト
 NATO・アルバニア共同演習 総司令官メイダニ
 「焼肉 mish pjekurを食いにいこう」 焼肉といっても、薄切りして網で焼いた奴をたれにつけて…というのではなく、骨付き肉に塩で味付けしてまるごと直火で炙って 文化や歴史について喋ってくれ 露天の八百屋 500ドル冷蔵庫1000ドル ホヂャの時代に電気は


8月18日(火)
 大蔵省 ラキ カードラジオ 出口で兵士に挨拶
 「スクンディア Skëndia(火花)」 ルーマニア共産党「スクンテイア Scînteia(火花)」だった
 科学アカデミー前の書店 
 カヴァヤ通りの向こうにガチョ・ブシャカ? 偶然ベティムがコニャク「スカンデルベウ」(前もこれ貰ったな…あの時もこの通りで車から偶然呼び止められたんだったな…)
 中国大使館


8月19日(水)
 明日からトモリ Tomorri
 エストレフ宅 ドア修理
 大蔵省 「予算課」 1階のカフェ レディナの件 ジェルジ1月来日?「インシャラー」 出口で兵士顔パス
 「人民の声」約7カ月分の包みを抱えて
 アパート入り口の下着店の店主とも、食料品店の一家ともすっかり知り合いになっていた
 初めての雨
 「No problem!」「I have bambino!」「First time?」こちらが見るからに外国人なので気を遣っているのだとは思うが 「どこから?」と聞くので「日本からだ」とアルバニア語で返すと、やっと普通のアルバニア語で「日本か、美しい国だ」と
 ワインを1本買って

 余りにも荷物が多いので空港内の荷物預かり所に


8月20日(木)
 イギリスの Cartoon Network
 7時、散歩 大阪行きの出発は午後なので、10時頃までは市内でのんびり

 ヤノシュ Janoschの絵本と絵葉書を買って


8月21日(金)
 税関で止められる


隣の学校(イギリス風ミッション系)
ここじゃ我々は犬みたいだ
東京の人口3千万?!
アフリカみたいだ そりゃアフリカに失礼だろ
「トロツキーの死」(ロバート・ペイン Robert Payne のだろうか?)
ケニヤ タンザニア
Kenij , -a / Tanzani-a
クリントン

PKSh91年11月結成 92年7月に人民議会で禁止

日曜日(?)寝室掃除

「ウイケンドはどうだった?」uikend とでも綴る?英語 weekend そのまま

テレビニュース 国立病院 看護婦賄賂 私営医院の方が明朗会計?

自動車の墓場

去年はプロイェクト・ヨン Projekt Jon(97年秋の旅行記参照)総出演の宝くじCMが秀逸だったが、今年の傑作は教科書のCMだ。
 「去年は…」 子供を連れてティラナ市内を歩き回る母親。新学期に使う教科書を探している。まずは「文学?」だが、本屋にない。キオスクにもない。心当たりを教えて貰い、ようやく肉屋で(!)発見。
 続いて「数学?」 バスに乗ったり、スカンデルベウ広場の噴水で顔を洗って一息ついたり。そして遂に偶然、道端の露店で発見。教科書を抱き締め、喜びの余り、路傍にバッターン!
 画面変わって「今年は…」 自宅のソファでハッと目覚める母親。と、枕代わりにしているのは何と真新しい教科書のセット。それを抱き締め、喜びの余り、ソファにバッターン!とそこで画面に「親御さんへ;御家庭へ確実に教科書をお届けします」云々。要するに、これまで自力で入手しなければならなかった(!)教科書をセットにして各家庭へ配布しようというサーヴィスらしい。ただ、連絡先の住所も電話番号も画面に出て来ないのが気になるのだが。

最後の夜はブリジット・バルドー?
ミモザ・アフメティ? 山でインタヴュー
"the relationship was not appropriate"

おしまい  FUND

旅の最初に戻る
もどる