テレビで
「きんぱくする コソボじょうせい」
とか
「れんじつ おつたえしているユーゴじょうせい」
とか言われても
何のことだかすぐわからない
方のために

(1999年3月25日記)

…特に学校で社会科を習っている人のために…


コソボってどこ?
 まず世界地図でイタリアを探して下さい。長靴のような形だからすぐわかります。その長靴のかかとの部分のすぐ右側に、アルバニアという小さな国があります。ここに住んでいる約三百万人のほとんどは、アルバニア人という民族です。これはあとで大事なことになるのでよくおぼえておいて下さい。
 アルバニアのすぐ下にはギリシアがあります。これは西洋史でもよく出てくる有名な国ですね。右にはマケドニアという国があります。ちなみに、世界史の教科書に登場したアレクサンダー大王のマケドニアは、今のギリシアの北部にあった国です。今のマケドニアは、まったく別の国です。
 そのマケドニアのすぐ上に、ユーゴスラビア、または略してユーゴという国があります。セルビアとなっているかも知れませんが、それもまちがいではありません。
 ユーゴスラビアは、マケドニアのすぐ上にあるセルビアという大きな国と、アルバニアのすぐ上にあるモンテネグロという小さな国からなる連邦国家です。連邦国家ですから、それぞれの国にそれぞれの政府があり、それぞれの大統領がいます。ただし、みなさんがテレビで時々ごらんになる「ユーゴのミロシェビッチ大統領」というのは、ユーゴスラビア全体の大統領です。
 そのセルビアの一番下の部分、ちょうどモンテネグロやアルバニアやマケドニアと国境を接するところに、小さなひし形の地域があります。面積約一万平方キロメートル、人口約二百万のこの地域が、これからお話しするコソボです。

コソボってどんなところ?
 コソボは、ユーゴスラビアの中では「コソボ・メトヒヤ自治州」と呼ばれます。ひし形の右端にプリシュティナという人口約三十万の町があり、ここが自治州の首都です。
 セルビアに住んでいる人のほとんどはセルビア人といって、これはロシア人やポーランド人と同じスラブ民族のグループに入ります。ところが、今コソボに住んでいる二百万人の約90%は、スラブ民族とはまったく異なるアルバニア人なのです。
 なぜでしょう?ここで最初に書いたことを思い出してください。コソボのすぐそばにはアルバニアがありましたね。実は、アルバニア人が住む地域は、今のアルバニアの領土よりもずっと広く、マケドニアやギリシアにもたくさんのアルバニア人が生活しているのです。コソボは、セルビアの領土でありながら、ちょうどそのアルバニア人の住む地域に重なっているのです。
 コソボは、三百年くらい前まではセルビア人が多く住む土地でした。しかしその後、東から進出してきたオスマン・トルコ帝国の支配下で、多くのアルバニア人が移り住むようになり、民族の構成が変わってしまったのです。

コソボ問題ってそもそも何?
 一千万近いセルビア全体の人口から見れば、二百万のアルバニア人は大した数ではないかも知れません。しかしコソボの中だけで見れば、アルバニア人は圧倒的に多数派で、実際、日常生活ではセルビア語よりアルバニア語が使われています。
 二つの言語はかなり違います。例えば「こんにちは」はセルビア語で「ドバルダーン」ですが、アルバニア語では「ミルディータ」です。「ありがとう」はセルビア語で「ファーラ」ですが、アルバニア語では「ファレミンデリット」です。
 しかし、そうは言ってもコソボはセルビアの中の一地域です。だから、役所ではセルビア語でないと受け付けてもらえなかったり、セルビア語ができないといい仕事につけなかったりします。政治に関われるような高い地位は、人口の数%しかいないセルビア人にほとんど独占されています。経済のレベルもセルビアの他の地域より低く、アルバニア人にとってはとても不公平に感じられてきたわけです。
 だから、コソボに住むアルバニア人は、セルビアからの独立を求めてきました。しかしセルビア人は、コソボはもともとセルビアの領土であると主張し、独立を認めていません。当然、いろいろな対立が起こります。これが日本で「コソボ問題」と言われるものです。

コソボ問題はいつから?
 ユーゴスラビアは、1980年代の終わりまで、周りの国々と同じく社会主義の国でした。しかもその頃は、地図のさらに上の方にあるボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアスロベニア、そして先ほどのマケドニアをふくむ、もっと大きな連邦国家でした。
 コソボの独立を求める動きは、実はこの頃からありました。事実、1960年代と1980年代には大きな暴動も起こりました。しかし当時のコソボ自治州(『コソボ社会主義自治州』と呼ばれていました)には今よりまだましな自治権があり、また反政府的な運動への圧迫も強く、本格的な独立運動にはなりませんでした。それに隣のアルバニアも、自国の経済を何とかするのが先で、コソボを支援するゆとりはありませんでした。
 ところが、1989年から1991年にかけてこの地域では大きな政治体制の変化が起こりました。ニュースで「東欧革命」と呼ばれた一連のできごとです。多くの国が連邦を離れ、独立を宣言しました。ユーゴスラビア連邦は事実上崩壊しました。二国だけしかない今のユーゴスラビアが正式に誕生したのは、1992年になってからです。
 コソボでも、1990年7月にアルバニア人が独立を宣言しました。新しい国の名を「コソボ共和国」とし、アルバニア人による議会を作り、大統領を選びました。さらに1991年9月には、コソボ共和国の独立を問う住民投票を行いました。住民の87%が投票に参加し、その99%が「独立賛成」でした。
 ところが一方、連邦の中心であったセルビアの中では、連邦崩壊への危機感から、セルビア人の利益を第一に考える民族主義を唱える人々が力を増していました。セルビアは1990年9月に憲法を変え、それまでコソボに与えられていた自治権を大幅に削りました。もちろん独立宣言も住民投票も認めませんでした。軍隊を送り込み、デモや集会を力づくでしずめ、アルバニア語の大学や研究施設を閉鎖してしまいました。
 学校ではセルビア語しか使えなくなり、多くの学生が民家に集まって勉強するはめになりました。それでも独立を求める活動が続いたため、多くのアルバニア人が不十分な証拠でセルビア警察に逮捕されたり、不当に監禁され、拷問を受けたり、殺されたりしました。アルバニアや周りの国々からコソボの親戚を訪ねるアルバニア人は、いくつもの検問でセルビア人警察の露骨ないやがらせを受けました。西ヨーロッパ諸国は、セルビア政府の行為に重大な人権侵害の疑いがあるとして、批判しました。
 そんな調子で数年が過ぎました。

なぜ今また問題に?
 1997年の初め頃から、コソボでは「コソボ解放軍」と呼ばれる謎の武装組織がセルビア軍や警察を襲撃するという事件が続けて起こりました。セルビア政府は、これを一部のアルバニア人によるテロ活動だとして、アルバニア人の逮捕・拘束を始めました。最初、これは「アルバニア人を不利な状態におとしいれるために、セルビア人がでっちあげたのではないか」という声もあったほどです。
 しかし、実際にコソボ解放軍は存在し、しかもその力は広がっていました。同時にセルビア軍による弾圧も激しくなりましたが、中には明らかに行き過ぎた報復もありました。
 1998年3月には、ドレニツァという村がまるごと破壊され、住民のほとんどが老若男女を問わず殺されているのが発見されました。6月にはドゥカジンという村でも同じことが起こりました。1999年に入ると、レチャクという村のはずれで、子供も含む数十人が、頭を撃たれたり目をえぐられたひどい死体で発見されました。セルビア軍による無差別殺人か?コソボ解放軍の自作自演か?それは不明ですが、これがまた両者の憎しみと戦闘を激化させたのは事実です。
  コソボ全体で死者は千人以上、難民は二十万人にのぼりました。
 初め、西ヨーロッパ諸国やアメリカは「セルビア軍ならコソボ解放軍をすぐおとなしくさせられるだろう」と考えていたようです。ところが、戦闘はいっこうに決着しません。1998年夏頃から、各国も「アルバニア人とセルビア人を話し合いのテーブルにつかせる必要がある」と思い始めました。そして、ついに今年2月、パリでの話し合いにこぎつけたのです。ニュースでは、会場となった宮殿の名前にちなんで「ランブイエ会談」と呼ばれました。みなさんの教科書にも「ランブイエ会議」がのっているかも知れませんが、それは1975年に開催された別の会議です。

なぜヨーロッパ各国は心配するのか?
 ここで、もう一度地図を見て下さい。ユーゴスラビアから西へ進むと、陸続きでオーストリアやドイツやフランス、南へ進めばマケドニアやギリシア、また海を渡ればすぐイタリアです。地図を見ただけではピンとこないかも知れませんが、例えばコソボのプリシュティナからこれらの国々の主要な都市まで、飛行機(直通便)で二時間もかからないのです。イタリアまでならフェリーで一時間そこいらです。鉄道や車で走り続けても、一日あればたどり着くことができます。それほど、この地域は地理的に近いのです。
 コソボでこれ以上の流血が続けば、大規模な民族紛争に発展するおそれがあります。しかもその結果、何万、何十万というアルバニア人が戦火を逃れ、陸路や海路で周りの国々へ流れ込んだら…これは、ユーゴスラビアと陸続きにある国々にとって、特に経済的に大変なことです。海ひとつへだてたイタリアや、その隣のフランスや、そのまた隣でヨーロッパ一の経済大国ドイツにとっては、決して遠いところの話でも、自分たちの暮らしに関係ない話でもないのです。

なぜ今「空爆」?
 これ以上コソボで戦闘が続くなら、軍隊を送り込んで力づくでもやめさせる!というのは、主にアメリカイギリスの考えです。
 一方ロシアは、(前に言ったように)同じスラブ民族であるセルビア人が攻撃されるのを好まず、空爆には否定的です。フランスも、あまり乗り気ではありません。
 このように、話し合いの間に立っている国々の中でも、意見がまったく同じということではありません。だから、これまで何度も「もうダメか」と思われながら、ギリギリの話し合いが続けられてきたのです。
 さて、2月の話し合いでは、とりあえず「コソボに大幅な自治を与える」という案に、両者が一応合意しました。「一応」というのは、自治を与えるためどのように戦闘を終わらせるか?という方法のところで意見が合わないからです。
 話し合いを仲介した国々は、自分たちの統一軍でもあるNATO(北大西洋条約機構)軍をコソボへ派遣し、戦闘の停止まで監視したいと考えています。
 しかしユーゴスラビア、というかセルビアの立場としては、それは困るのです。自分の国の領土に外国の軍隊が入ってくるのは許せない!からです。
 またアルバニア人の代表者たちのうち、暴力によらず和平を実現しようとする人々は問題ないのですが、コソボ解放軍をひきいる代表者は、またいつ攻撃されるか分からないから、そう簡単に武器を手放したくない!と考えています。
 そこで3月初めに、パリで再び話し合いが行われ、結局ここでアルバニア人だけが和平案にサインしました。残るはユーゴスラビア、つまりセルビア人の方です。もしセルビア人側がサインをこばみ続ければ、空爆は始まってしまうでしょう…といっているうちに、始まってしまいました。

日本に影響は?
 とりあえず、何もありません。身もふたもない言い方ですが、事実です。
 しかし、すぐ上で説明したように、コソボで大変なことが起これば、そこから発生する経済的・政治的な不安はヨーロッパ全体に影響します。アメリカも同様です。長い目で見れば、それが日本へも…とは考えられないでしょうか?
 ところで、実は今でもドイツやオーストリアやスイスやイタリアには何十万というアルバニア人が生活しているのです。
 例えば、みなさんが近い将来、お金を貯めてミュンヘンロマンチック街道ウィーンジュネーブローマミラノへ観光旅行に出かけたとしましょう。みなさんがコソボのことを知らなければ、アルバニア人のことなど気にもせず、旅を楽しまれると思います。
 しかしその時、アルバニア人たちはちゃんとみなさんの目の前にいるのです。
 ある人はタクシーの運転手をしているかも知れません。
 ある人はカフェで友人と、アルバニア語でおしゃべりしているかも知れません。
 ある人は学校へ通っているかも知れません。
 ある人は現地で結婚し、家族といっしょに暮らしているかも知れません。
 駅や空港の売店にはアルバニア語の新聞があり、町にはアルバニア人のお店もあります。そして一人一人が、故郷の将来を心配しているのです。もしみなさんがその人たちに声をかければ、いろんなことをいくらでも話してくれるでしょう。

自分たちに何ができる?
 これは、私自身が(私は大学でアルバニア語を研究している言語学者です)この地域と関わる過程でいつも悩む問題です。成田や関空から、乗り換えして最低でも二日がかりでないとたどり着けないこの地域に、日本に住む人々はいったい何ができるでしょう?
 食べものや薬を送る?それは、現地に届くまでにたいへんな時間とお金がかかります。必要としている相手のところにきちんと届く保証もありません。この点では、やはり「おとなりさん」であるヨーロッパ各国、例えばドイツやイタリアの人々の方が、日本よりずっと確実な方法と経験を持っています。
 日本政府は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務局)と国際赤十字を通じて、231万ドルという大金を緊急援助の資金として提供しました。このお金は現地で、衣料品や医薬品や食料に利用されるはずです。同じように、一人一人がヨーロッパの人権団体や人道援助機関にいくらかまとまった金額を送り(銀行や郵便振替の口座を使って)、向こうの活動に協力するというやり方もあるでしょう。
 しかし、私はここまで読んでくれたみなさんに、特に学生のみなさんにお願いしたいのです。
 みなさんには、もっと別にやって欲しい、もっと大切なことがあります。
 それは、この遠い世界で起こっていることについてみなさんが「忘れない」そして「関心を持ち続ける」ことです。
 そんなの簡単だ!と思いますか?
 これはなかなか難しいことです。なぜなら、遠い世界のできごとだからです。目の前に爆弾が落ちたら誰でも当分は忘れませんが、ひとりの顔見知りもいない土地で百人死んでも、それが心を長くゆさぶり続けることはあまりありません。身の周りも大小事件だらけだし、そっちの方がより切実だったりするでしょう?
 そうでなくても今の世界は、みなさんが思う以上に、人と人とのつながりが断ち切られ、ひとりひとりが異なるものに関心をもたないようにされ、バラバラにされているのですからね。
 私たちは、ニュースの映像に現れる悲惨な映像、破壊の風景だけに目を奪われて、それだけがその土地のすべてだと考えがちになります。まるでその土地の人たちが朝から晩まで悲惨にうちひしがれ、生きる希望も失い最後を待っているようで、でも自分にはなぁんにもしてあげられない、ああかわいそうに、自分は日本に生まれてよかったな…などと考えて、気持ちを切り替えてしまったことはありませんか?ボスニア、ルワンダ、イラク、インドネシア…思いあたることがないですか?
 でもこれは「想像力の欠如」だと思います。たとえ砲火の下でも、人々は食べ物を手に入れ、仕事を探し、子どもたちは遊びを見つけ、みんなわずかな休息の中で友達との会話や、恋や、歌や、ダンスを楽しみ、たくましく生き続けているのです。今、この時もそうです。彼ら(彼女ら)は、みなさんと同じように生きているのです。置かれた環境はちょっと違いますがね。
 実はこの話、私自身がアルバニアの友人から言われたことなのです。彼はこう言いました。
「日本から援助といっても何ができるんだ?それよりも、私たちのことを忘れないでくれ。そしてまた私たちのところへ遊びにきておくれ」今も心に残っている言葉です。
 繰り返しますが、記憶を持ち続けて下さい。想像力をたくましくして、見えない世界に思いを寄せて下さい。もちろんそれには正確な知識が必要ですから、本を読んで勉強して下さい。
 遠回りのようですが、それが将来、みなさんが外の世界の人々と交流していくのに役立つ力になるのです。私はそう思います。



どんな本を読めばいい?

 ここでは、みなさんが図書館や書店で手に入れやすく、日本語で読めるものを紹介します。

現代政治・ドキュメント
今井克, 三浦元博 「バルカン危機の構図」 (恒文社1993)
津守滋 「バルカンを行く」 (サイマル出版会1995)
大倉晴男 「文献・新聞記事からみるアルバニア」 (勁草出版サ−ビスセンタ−1992)
天羽民雄 「バルカンの余映」 (恒文社1988)
NHK取材班 「現代の鎖国アルバニア」 (日本放送出版協会1987)【同名TV特番の活字化】

旅行・滞在記
山崎洋子 「グソア アルバニアの幸福」 (新風舎1997)
鈴木正行 「アルバニア小頃」 (新風舎1997)
中島由美「バルカンをフィールドワークする」(大修館書店1997)【紛争や対立だけじゃない、バルカン半島の言語と生活の記録。著者はセルビア語、クロアチア語、マケドニア語の専門家、現在一橋大教授】
喜多迅鷹 「東欧・激動の底流はここに」 (読売新聞社1990)

歴史
柴宜弘 「バルカン史」 (山川出版社1998)【現時点で最新の通史】
中津孝司 「アルバニア現代史」 (晃洋書房1991)【著者はコソボ留学後、現在大阪商大教授】
木戸蓊 「激動の東欧史」 (中公新書1990)
木戸蓊, 伊東孝之 「東欧現代史」 (山川出版社1987)
木戸蓊 「バルカン現代史」 (山川出版社1977)
矢田俊隆 「東欧史」 (山川出版社1977)

より詳しく学びたい人に
中津孝司, 大倉晴男, 金森俊樹 「現代バルカン半島の変動と再生」 (神田・杉山書店1998)
中津孝司 「新生アルバニアの混乱と再生」 (創成社1997)
ジョルジュ・カステラン 「バルカン 歴史と現在」 (サイマル出版会1994)
中村泰三 「東欧圏の地誌」 (古今書院1987)
C&B・ジェラヴィチ 「バルカン史」 (恒文社1982)
P・F・シュガー, I・J・レデラー 「東欧のナショナリズム」 (刀水書房1981)
芦田均 「バルカン」 (岩波新書1939)【かなり古い本ですが、数年前に復刻されています】

文学
イスマイル・カダレ(平岡敦訳) 「砕かれた四月」 (白水社1995)
イスマイル・カダレ(桑原透訳) 「草原の神々の黄昏」 (筑摩書房1996)
イスマイル・カダレ(平岡敦訳) 「誰がドルンチナを連れ戻したか」 (白水社1994)
イスマイル・カダレ(村上光彦訳) 「夢宮殿」 (東京創元社1994)
イスマイル・カダレ(平岡敦訳) 「災厄を運ぶ男」 【『世界文学のフロンティア 3 夢のかけら』岩波書店1997に所収】

語学
直野敦 「アルバニア語入門」 (大学書林1989)【本格的初級文法。著者はルーマニア語学の泰斗】
中津孝司 「アルバニア語入門」 (泰流社1989)
直野敦 「アルバニア語基礎1500語」 (大学書林1986)



 その後、更に新しい本が出版されました。500円でおつりがくる「岩波ブックレット」シリーズの新刊で、コソボ紛争の背景をとてもわかりやすく解説しています。特にアルバニア人とイスラムの関係や、対トルコ史に関する記述など『うわっ、パクられた!』と思うほど私と同見解…いや冗談ですが…今いちばんおすすめできる小冊子です。(1999年9月17日記)
町田幸彦「コソボ紛争」(岩波書店1999) 【岩波ブックレット No.487】


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