ドイツ(ミュンヘン)留学記  (1997年8月執筆)

フランクフルト 1995年9月10日

 ロータリー財団の奨学生としてドイツに来た。

 期間は約10カ月間、ミュンヘン大学文学部インドゲルマン語専攻の「予定」。インドゲルマン語という名前は付いているが、主任教授がアルバニア語の専門家なので、多分そちらの勉強の方が主になるだろう。というより、それをあてにして入学を申し込んだというのが本当のところだ。留学が正式に決まったのは昨年末だが、大学の入学許可やヴィザの発給や航空券の手配など具体的なことが片付いたのはつい先月のことだった。ドイツの大学は高等学校の卒業証明さえあれば原則として無試験で入学できるし、私は学位取得を目的としない1年期限のプログラム学生(日本で言うと研究生みたいなもの?)扱いで、おまけに2年も前から教授本人に手紙で打診していたことが幸いしたのか、割合簡単に入学許可が下りた。

 広島バスセンターを出発したのが8月31日の夜、翌朝伊丹空港から成田経由の日航機で12時間余り飛んで、フランクフルト国際空港に到着したのは1日の夕方。大した問題もなく(ただしパスポートに就学ヴィザが貼ってあったので、税関で多少質問された)市内入りした。半年前のアルバニア行が、思えば格好の予行演習になったわけだ。とりあえず週明けまでの3晩を、ユースホステルで過ごす。

 すぐにもミュンヘン入りしたかったが、奨学生の条件としてフランクフルトのゲーテ・インスティトゥートで1カ月間の語学講習を受けなければならない。入学時の簡単な面接と筆記試験で、「M3」というクラスに編入された。「M」は中級で、更にその中に初級の「1」から上級の「3」まであるそうだから、早い話が「中の上」クラス。だから出席者も世界各国の年長者が多く、授業のレヴェルもスピードもかなりのものに感じられる。宿題も結構多い。月曜日以来、午前中は授業に出席し、午後は図書室で自習という毎日。

 客観的に見て、語学における私の最大の弱点は、書いたり話したりする能力に比べて聴き取る能力が相対的に劣っている点だと思う。そこで他のクラスの出席者とも喋り、催し事にも積極的に参加し、テレビを視たりラジオを聴いたりして日常的なドイツ語に慣れようとしている。ちなみに、他にも同じ奨学生の日本人が数人いるが、日本語は一切喋らないことにしている。

 講習期間中の宿泊先は、フランクフルト市中心から地下鉄で約20分のところにある閑静なアパート街の一室。私の母と同年代の女性が1人で暮らしている家の一部屋を間借りしている。広島へ来た最初の2年間と同じ様な感じだ。朝食が出される以外には余り干渉もされないし、その婦人も日中は仕事に出ているので、割合静かに過ごせる。

 とは言ってもミュンヘンでは、炊事も洗濯も自分でできる独立した一人部屋が欲しいものだ。が、これが目下最大の懸案で、住居の手配を依頼したロータリー財団の担当者からは連絡なし。もしかしたら自分で探さなければならないかも知れない。ドイツの大都市では住宅難が深刻だとしきりに言われるものだから、ちょっと、いやかなり心配。他にも、大学への入学手続きや当局への居住登録など煩雑なことが待っているらしい。考えてみると、いくら国内外で旅慣れていてもこうして正式に長期滞在するのは初めてなので、困惑するのも当然だ。まあ泣きごとを言っても誰も助けてくれない、自力で一つ一つ解決していく他あるまい。

 当地は平均気温が10℃を境に前後しているので、朝晩は寒い位。半袖の服を持って来なくて正解だった。例のごとく出先では食が細くなることもあって、食事に不満はまるでなし。フランクフルトなら日本食も食べようと思えば食べられるが、正直なところ今は食にこだわる心の余裕がない。

 ミュンヘンに移り次第日本から「新聞ダイジェスト」を送って貰うことにしているが、今ここでは日本語の情報は皆無。日本の新聞は駅に行けばあるが、値段が高いので買わない。というわけでドイツの新聞から情報を得ることになる。

 現在ヨーロッパではボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦に次いで、フランスの核実験を巡る各国の抗議行動が話題になっており、最もよく見かける日本人名が「武村正義」になってしまうのも致し方ない。北京の女性会議に日本人のNGOが6000人も出かけていることも、ちょっとした評判。それから坂本弁護士夫妻の遺体が発見されたという報道が論評抜きで載っていたが、これは本当だろうか?

 現在の住所には9月23日頃までいる予定。


                   フランクフルト 1995年9月24日

 今日からヨーロッパは冬時間に入り、時計は1時間だけ前に戻った。日本との時差は1時間増え、−8時間になる。

 フランクフルト滞在もあと1週間足らず、30日の土曜日には陸路ミュンヘンへ向かう。

 事態の進展;ミュンヘンのロータリー財団担当者から連絡があり、私の為にミュンヘン大学の寮の部屋を一つ確保しておいてくれたことが判明。10月1日から入居できるそうなので、とりあえず住居の問題は解決。共用ながら各階に台所があるそうなので、自分で料理もできるかも知れない。現在の下宿生活は全くと言っていいほど外食中心なので、スーパーでマカロニやスパゲティを見ると「ゆでたい」衝動にかられる。毎週金曜日にはゲーテ・インスティトゥートの近くで朝市が開かれていて、野菜や果物が日本よりずっと安く売られているが、ここを通り抜けるのはさながら拷問だ。なぜなら、買いたくても料理できないので買えないから。フランクフルトの滞在先を手配したのはロータリー財団だと思うが、帰国したらこの点ひとこと言わないと気が済まない。

 語学講習の成果;過密スケジュールだった割にドイツ語の能力はそれほど変わってない。もっとも初学者ならともかく、大学入学以来9年間(9年間学生!)時々さぼりながらも積み重ねてきた語学力が、たった1カ月で突然飛躍的に向上するわけはないので、慣れるにはもう少し時間がかかるのだろう。ただ、授業のドイツ語は大体理解できるのに、日常生活の何でもない言い回しがなかなか聞き取れないのには参る。

 ところで、ここでの私は大変付き合いが良い。毎週水曜日の夜には近所の酒場に生徒が集まって飲むのだが、私は毎週欠かさず通っている。フランクフルト市内には林檎酒(当地の特産品)やビールの工場があり、それらの見学会にも参加した。当然帰りには試飲もして良い気分だった。昨日の土曜日には皆でバスに乗って古城見物にも出かけた。児童作家の朗読会に行った時は、子供に混じって著書にサインもして貰った。今週末には皆でブレヒト原作の芝居を見に行く予定。ここのところ新歓コンパも追い出しコンパも御無沙汰している日本ではおよそ考えられない人付き合いの良さは、ドイツ語の実践の為と割り切っているから、可能なのだ。

 私の普段の最大の娯楽は日本でと同様にテレビである。刑事モノは筋が追い易いのでよく見るが、コメディやヴァラエティもなかなか面白い。ヨーロッパのお笑いには政治的風刺が時々含まれていて、日本人生徒の中には余り見ないという人もいるが、私はそういうのも結構好きだったりする。先週見た番組では、休暇でフィンランドを訪れた労働大臣夫妻が大量の酒を荷物の中に隠していた為、税関で追徴金のかわりに洗車の仕事をさせられていた…が、実はこれが「どっきり」で、夫人も仕掛け役だった。隠しカメラの映像をスタジオで見せられた大臣は太っ腹にも大笑いしていた。その一方でまるっきりナンセンスなお笑い番組やヒット曲紹介番組や新婚夫婦参加のクイズ番組等もあって、様々だ。ミュンヘンに移って奨学金を貰ったら、小型のテレビを1台買いたい。

 おそらく今のドイツの都市部はどこもそうだと思うが、フランクフルトは完全に多民族都市である。毎朝、郊外のアパートから中国人や韓国人(しょっちゅう間違えられる)やトルコ人(最もたくさん住んでいる)や黒人系(これもアフリカとは限らない)の子供がドイツ人の子供と一緒に学校へ通い、その親が駅前で母語の新聞(各国から送られてくるものや、ドイツ国内で出版されているものがある)を買って電車の中で読みながら通勤する風景は珍しくも何ともない。中央駅に行けばアルバニア語の新聞も手に入る。

1988年にドイツを訪れた時にはちょうどドイツ国内の外国人労働者に対する差別の現状が初めて公然と議論されていたが、その頃と比べると(まだ問題はあるものの)かなり環境は改善されている。ドイツと言えば日本では極右の話題がすぐ出るが、少なくともベルリンを除く都市部でこうした連中の影響力はほとんどなくなったと思う。そういう類の新聞もまだ見かけるが、外国人を追い出すとか閉め出すという言質の無意味さは、ドイツ人自身が一番よくわかっているはずだ。日本も遠からずこうなるだろうし、それを拒絶するわけにはいかない。私もここでは外人…この言葉は嫌いだ。


                    ミュンヘン 1995年10月15日

 9月29日の金曜日、ゲーテ・インスティトゥートでの講習終了。  全ての受講生が一回づつ簡単なレポー頭発表することになっていたので、私は、北京で開催された国連女性会議(ひょっとして日本では『国連婦人会議』?)に関するドイツの新聞記事をかたっぱしから読んでまとめてみた。おかげでゲーテ・インスティトゥートの図書室職員には、毎日の様に新聞を読みに来て、帰りに記事をコピーする日本人として顔が利く様になった。発表の方だが、ヨーロッパ人や韓国人の評価はまずまずだと思っていたのに、あとで聞くと、ドイツ語がとんでもなく早口になっていたそうなので、やっぱり結構緊張していたのだろう。

 30日の夕方にミュンヘンに着くと、ロータリー財団の担当者が寮まで案内してくれた。ドイツの大学も余りお金がなく、学生も住環境に苦労しているとは聞いていたが、学生寮もこれまたかなり古い建物。四畳半並の空間に机と椅子とベッドと洋服箪笥と洗面所、それにヨーロッパ特有のスチームが備え付けてある部屋が各階に8つづつ、トイレとシャワーと台所と電話は各階共同。ロータリー担当者もおやまあという顔をしていたが、よーく考えてみると、これは広島で私が住んでいた所より好条件なので、ここで結構だと返事。家賃は1カ月 230マルクと、ミュンヘンの様な大都市では破格の値段。当然競争率も高い筈だが、そこはロータリー財団の人脈の力で切り抜けたのではないか。

 その夜は、弁護士をしているというそのロータリー担当者宅に招かれたが、Iuraという私の姓と、「法律学」を意味するドイツ語のJuraがたまたまよく似ているので、良い話題の種となる。

 それ以前にも、自分の姓がヨーロッパ人にとって発音しやすく、また憶え易いらしい(『ユーラ』はスラヴ系によくある人名。もっともこれは女性形で、男性は『ユーリ』)ということには気付いていたので、ドイツだけでなくアルバニアでも、自己紹介の時には姓を先に名乗っていた(それに私は『いちろう』と呼ばれるのが苦手)。もともと外国向けの署名も全て「姓・名」の順に書いているので、ちょうど良い。

 土日は部屋にこもっていた(十月祭には行かず)。何しろすることがない上、ほとんどの住人が週末で何処かへ行ってしまい、自己紹介のしようもなかった。

 月曜日になると、先ず銀行に出かけて奨学金を引き出し、その足でデパートの家電売り場に向かい、14型カラーテレビを購入。もっと小型でも良かったが、かえって値段が張るので少々大きめのものにしておいた。それをその場で持ち帰り、さっそく電源を入れてみたが、どのチャンネルにしても何も映らない。ようやく映ったと思ってもひどく映りが悪く、アンテナを伸ばしても全然駄目。

 もう一度テレビを買った売り場に出かけて、店員に尋ねてみると、放送局は自分で探して下さい、というとんでもない答えが返ってきた。どうやらヨーロッパの場合、それぞれの地域で様々な放送局の電波が異なる周波数で飛んでいる為、各人でテレビの受信状態を変えながらそれらの放送局を見つけ出し、チャンネルを固定しなければならないらしい。つまり、新聞のテレビ欄にチャンネル数や周波数が載っていて、それに合わせればすぐ番組が映るという日本の様にはいかないのだ。帰宅してもう一度説明書を読んでみると、なるほど確かにチャンネルの合わせ方が載っていたので、5分ばかりかかって、8つのチャンネルを設定した。

 テレビが映る様になるとすっかり気分が楽になり(←単純)、それから3〜4日の間に(といっても翌10月3日はドイツ統一記念日で休日の為、商店は軒並み休業)住民登録等を済ませ、帰りにはラジカセやら布団やら食器類やらを買い込み、次いでに大学附近のめぼしい本屋も見てまわり、新聞も購読することにして、最初の1週間で概ね落ち着いた。

 ミュンヘン市内はフランクフルトとかなり雰囲気が違う。もともと、古いものと近代的なものが一緒になっているのはドイツのどの都市でも見られる風景だが、ミュンヘンの場合、古いものの存在感が圧倒的に大きく、所謂バロック様式の壮大な建築物が目につく。もちろん、現在のミュンヘンの基礎を建設したルートヴィヒU世の影響もあるだろう。こういう街並は、観光客には興味深いのだろうが、住む者にはしばしば圧迫感を与えるかも知れない。

 同じ階にはドイツ人が3人、オーストリア人(ただしドイツ人と見分けがつかず)とアメリカ人とチェコ人とブルガリア人が各1人。男性と女性が同じ建物に住んでおり、最後のブルガリア人は女性。全員の生活リズムが割合ばらばらなので、思ったほど頻繁には顔を合わせない(週末には実家に帰ってしまう人も)。また全員がまめに自炊するわけでもないので、台所もほぼ自由に使える。

 フランクフルトでマカロニやスパゲティがゆでられなかった反動の為、今日に至るまで毎晩各種麺類のフルコースで、恐ろしいことに全く飽きない。米はドイツ人も食べるし、スーパーでも手頃な値段で売られているが、まだ日本の味(しかしそもそも『日本の味』って何なのだ?)が恋しくなる段階ではなさそう。なお、米と言っても、先般の国産米不足の際に悪評高かったタイ米と同じインディカ米が主流である。もっとも、私はこれが大好きで、米不足の時期には安いタイ米を毎週の様に広大生協から買い入れていたところ、90キロほど買った頃に、仕入れ先の在庫が底をついたのでもう売れないと言われた…多分、私はタイ米を買い占めた、稀有な日本人だ。

 大学の入学手続きは来週から、更に授業が始まるのは11月からなので、それまでの時間を利用して、11日の水曜日から16日の月曜日までフランクフルトで開かれる書籍見本市に行くことにした。ドイツ国内だけでなく、世界各国の出版社が出店する、世界最大の本の展示会である。

 水曜日の午前中にミュンヘンを出発、3〜4時間でフランクフルトに着いたら、何と市内のホテルは全て満室、本来なら予約不要のユースホステルさえベッドがない状態、2〜3泊くらいできるだろうと考えていたのが大変な見込み違いだった。見本市に出店する出版社の社員や来賓によって、観光案内所職員の言葉を借りれば「半径50キロ以内の部屋は全部一杯」。

 仕方なく駅の案内板で近郊のホテルを探していると、韓国人の夫婦がやって来て、部屋が見つからないと言う。話を聞くと(妻の方は福岡で働いていたことがあって日本語ができたが、夫の方は英語のみ、おまけに2人共ドイツ語は全く駄目)、観光でオランダからドイツへやって来たところ、フランクフルトで部屋を確保しようにもできず途方に暮れていたそうで、何と見本市のことも全く知らなかったらしい。

 とりあえず、フランクフルトで何が行われているかを説明し、ドイツ語ができない2人に代わって手当り次第にホテルへ電話をかけまくり(こう書くと何だかてきぱきやっていた様に聞こえるが、正直なところ外国語で電話するのは決して楽ではない)、ようやく2人部屋の空いていたホテルを見つけ、タクシーに同乗してホテルまで案内し、その後で市内へ戻って別のホテルの1人部屋を探し出し、訪ねてみると、何と最寄りの駅からさえ歩いて10分はかかる上に宿泊料金は東京並み(しかもここでもドイツ語ができない日本人客の代わりに空港行きバスの予約をするというおまけつき。私ときたら一体何処まで親切なのか)。

 ところで、こうまでして水曜日にフランクフルトを訪れたのには、もう一つ理由があった。毎週水曜日の夜にゲーテ・インスティトゥートの受講生が集まって飲む酒場があることは前述したが、そこへも行くつもりだったのである。ところが何とその日に限って店は他の団体客に貸し切りで、それではみんながどの店にいるのかというと、これが皆目見当もつかない。がっかりしてホテルへ戻り、部屋のテレビをつけると、何とたったの2チャンネルしか映らない(ドイツにはこの公営2チャンネルと民放数チャンネルがある。面白い番組は大抵民放の方なのだが、古い機種のテレビや、地域によっては映らないことがある)ので、暇つぶしにもならなかった。

 さて翌朝、気分を変えてゲーテ・インスティトゥートを訪ね、それから見本市会場へ足を運ぶと、何と(さっきから『何と』が多い)水・木・金曜日は業者と招待客しか入場できないという受付係の返事。一応アルバニアの或る書店主に会う予定だったが、別に正式の招待状があるわけでもなく、生憎ですが土曜日においで下さいと追い返される。このまま無理にフランクフルトに滞在しても余分に出費がかさむだけだと判断し、行きがけの駄賃(?)に会場前の古本の露店で本を幾らか買い、ミュンヘンへ逃げ帰った。

 翌々日の土曜日、今度こそ本当に気分を変えて早朝ミュンヘンを出発し、9時の開場とほぼ同時に(案内係が木曜日に私を追い返した受付係と同一人物だったのは、とんだお笑いぐさ)パヴィリオンをまわり始める。見本市なので直接本を売っているわけではなく、大半は注文の受付や業者同士の契約、或いは出版目録の配布だけで、現金はほとんど動かず、本も大抵飾ってあるだけ(見るだけ)だが、それでも午前中に鞄がカタログ類で一杯になった。ちなみに中欧・東欧地域だけでも出店数は 180以上だったとか。

 午後になってアルバニアの書店のコーナーを訪ねると、店主が出迎えてくれた。それからその人物とカフェでいろいろ話したところ、何と(また『何と』)この書店から本を購入している日本人の顧客は、ナウカを除いて、私1人しかいないことが判明した。しかもそのナウカからさえここ2年間注文がなかったという。もともとこの店は、社会主義国によくある国営の海外向け出版物販売機関から独立したものだが、私がナウカ本社に問い合わせたところ、その経緯自体が伝わっていなかったそうで、要するに、すっかり忘れられていたのだ。

 会場にはドイツ在住のアルバニア人も何人か来ていたので、ドイツ語とアルバニア語を交えて会話。帰り際に、好きな本を持って行って結構ですと言われたので、展示棚からめぼしいものを数冊手に取り、さてお支払いはどうしましょうと尋ねると、全部ただで差し上げますという店主自らの返事。ここまで特別扱いされるとは思っていなかった。前々日に損した分が戻ってきた様な感じだが、こうなると読まないわけにはいかない。

 目下うまくいかないこともあるが、致命的な失敗はまずない。まあ、ここは日本ではないことだし、多少の停滞は考慮済みだ。


                     ミュンヘン 1995年10月29日

 バイエルン地方では日増しに寒さが厳しく…と書きたいところだが、アルプス山脈から吹く風の気紛れで、上着要らずの陽気もまだ稀ではない。外国への理解に、思い込みは禁物だ。

 ミュンヘン中央駅には海外誌紙の専門店があって、時々アルバニア語の新聞や雑誌を買いに行くのだが、日本の新聞は安くない(1部7マルク。ちなみにドイツの平均的日刊紙は1.60マルク)ので買わないし、週刊誌類に至ってはほとんど置かれていない。

 ここでは寮の入り口に各部屋毎の郵便箱がずらりと並んでいるが、広島に住んでいる時の様に毎日何か届いている(もっとも定期購読の本や雑誌や請求書の類がほとんど)わけではなく、些か物足りない。ただし新聞は日曜を除いて毎朝配達されるので、これを取りに行くのが一日の始まりになっている。

 日本に関する今月の話題は、田沢法相が「仏教集団出身の野党議員(固有名詞が書かれていないので非常に分かりにくいのだが、恐らく創価学会と新進党のことを言っているのだろう)」に資金を供与した件で辞任したこと、沖縄での事件に対して「返還以来最大規模の反米デモ」が行なわれたこと(世界最大の米軍基地が日本にあることや、沖縄の総面積の75%が米軍基地であることや、その費用の7割を日本政府が負担していること等が、海外ではかなり特異なことに思われている。『占領軍』のイメージもあるのかも知れない)、麻原容疑者の「唯一の弁護人(これはあの横山弁護士のことか?)」が事故に遭って裁判が延期されそうになったこと、更には容疑者本人によって解任されてしまったこと、かと思うと国選弁護団によって結局裁判が開始されたこと、かと思うと、この前日の記事によれば、横山弁護士(今度は名前入り)が再選任されたこと等。日本の「ワイドショー」に相当する番組が存在しないドイツでは、オウム真理教に関する報道も至って簡潔だ。日本のオウム報道に似た雰囲気のものは、強いて挙げれば、シュテフィ・グラフに対する裁判のニュースぐらいだろう。F1でシューマハーが優勝した時の地元の騒ぎ振りは、貴乃花の優勝時を彷彿とさせるものだが、テレビの報道自体は日本程派手ではない。ちなみに、スポーツといえばサッカーが主流のドイツで、野球が話題にされることはほとんどない。私はすこぶる居心地が良い。

 ドイツで現在大きく報道されている海外事情としては、例のごとくボスニア・ヘルツェゴヴィナの内戦とフランスによる3度目の核実験は言うに及ばず、ヨルダン西岸部からのイスラエル軍撤退、クロアティアの総選挙、アゼルバイジャンの地下鉄火災等が挙げられる。これは地理的条件によるものだから、比重の置き場所が日本と違うのは止むを得ない。

 ドイツ国内に目を向けると、連邦軍のボスニア派兵が閣議決定されたこと、来年度予算がようやく成立したこと、先週日曜日のベルリン市議会選挙で社会民主党(連邦政府の最大野党)が大敗し、民主社会主義党(旧東ドイツの社会主義統一党)が緑の党をも追い抜いてキリスト教民主同盟(連邦政府の与党)、社会民主党に次ぐ第3党になったこと、ドイツ語の正書法(来世紀から綴り方がもう少し簡単になる)が棚上げになったこと、ダイムラー・ベンツ社の航空部門で8000人以上の解雇が通知されたこと等が主な出来事。

 また、第2次世界大戦終結(ドイツの敗戦は50年前の5月8日)からしばらく経って、新しい組織・団体の結成がちょうど今頃に集中したせいか、キリスト教社会同盟(バイエルン州の与党)50周年や連邦軍40周年をはじめ、様々な組織・団体がこの時期に結成○周年を迎える。しかもこの時期は、旧東ドイツのライプツィヒで最初の大規模な反政府デモが行なわれた10月9日(1989年)、東西ドイツの国境が開放された11月9日(同じく1989年)、そして10月3日のドイツ再統一(1990年)が前後する時期でもある。更にドイツでのユダヤ人襲撃(ポグロム或いはホロコースト)が始まったのも55年前の今頃なので、大雑把に言えば「ドイツとは何か」的な特集記事・番組が目につく。日本の8月の様な、或いはそれ以上のものだろう。先週は、ライプツィヒのデモの拠点となった実在の教会を舞台にした「ニコライ教会」というテレビドラマを見たが、1989年当時の東ドイツの一都市とその市民一人一人の生活の変化が正確かつ緻密に再現されていて、非常に興味深いものだった。

 私個人はどうかというと、滞在に必要な公的手続きを全て完了させた。どんなことをしたのか、少し詳しく書いておこう。

 先ずミュンヘンに到着後、1週間以内に最寄りの登録所で住所登録をする(フランクフルトでは1カ月未満の滞在だったので、こうした手続きは一切不要だった)。その後、ドイツ入国から3カ月以内に、ミュンヘン市中央の登録所で正式な滞在許可を貰う。何故「3カ月以内」かというと、実は就学・就労ヴィザというのは長期滞在予定の人に対しても3カ月分のものしか発給されない為。滞在許可、つまりヴィザ延長の為には、現地での住所登録証明書、大学・会社等の発行する証明書、生活能力の証明(奨学金の支給明細や預金残高の記録等)、保険加入証明書(ドイツの大学に通う全ての人には健康保険への加入義務がある)を提示しなければならない(本当は健康診断も必要だが、日本人は原則として不要)。

 そこで先に健康保険の加入に出かけたところ、備え付けの申込書に記入して窓口に提出し、別の窓口で加入金(半年当たり約 600マルク!しかし学費が0なんだから日本に比べれば安いものだ)を払うだけだった。そのまま帰宅して加入証明書が届くのを待っていたが、1週間経っても音沙汰がないのでもう一度出向くと、受付の女性が「まあ、あなたどうしてすぐ帰っちゃったの?!」と素頓狂な声を上げるなり、ごみ箱から八つ裂きにされた(!)私の申込書を引っ張り出してもう一度書類を作り直し、その場で証明書を渡してくれた。つまり支払いを終えた後でもう一度最初の窓口から証明書を渡される筈だったのに、この間抜けな日本人は郵送されるものと思い込んでさっさと帰ってしまい、処置に困った職員は結局書類を破り捨ててしまったというわけ。しかし支払いの領収書があったから良かったものの、ごみが収集された後だったらさぞかし面倒なことになっていただろう。

 ミュンヘン大学の外国人受付期間は先週の月曜日から金曜日までの午前中のみ。アルバニアでもそうだが、こういう時間帯は公的機関では珍しくない。早起きが必要だが、見方を変えると、午後はのんびりしていてもいいということだ。そこで早速月曜日の朝に出かけると、入口でドイツ人学生のアルバイトらしき人達が、提出書類に不備がないかどうか見てくれた。それほど申込書の書き方が外国人にとってややこしいからだが、私の場合はほとんど問題がなく、よく一人でここまで書けたものだと感心された。

 仮学生証を持ってその日の内に登録所へ向かい、無事…と言っても待ち時間が結構あった…1年分のヴィザをパスポートに貼って貰った。本当はあと9カ月位しか滞在しない筈だが、「1年間」と記入しても特に質問されなかった。ついでにこの後、郵便局に振替口座も開いてみた。別に義務でも何でもないのだが、少しは便利になるだろう。

 他の奨学生の中には、必要事項の煩雑さや待たされることへの焦燥感でかなり神経質になる人もいた。しかし、ここは日本ではないのだから何でも思い通りになるわけがない。事務のやり方が違うのも、事前に想像出来ることだ。それに大学が始まるまでほとんど1カ月近くあるのだから、のんびり構えていればいいのである。以上の発想で私はこの4週間余をどうにか切り抜けた。常に一人で行動していたことも、むしろ失敗に対する余裕を与えたのだろう(配偶者や子供のいる人の場合、多分ここまで呑気ではいられまい)。

 ミュンヘンに着いた翌週、以前から連絡していたアルバニア語学(ドイツでは『アルバノロギー』と言えば大抵の人には通じる)の教授に、到着の旨を手紙で伝えた。すると直ぐに返事が来て、先々週の月曜日に「一般言語学及びインドゲルマン語学研究室」(という長〜い正式名。ちなみに『ミュンヘン大学』の正式名は『ミュンヘン・ルートヴィヒ・マクスィミリアン大学』こちらでは略して『LMU』。『ミュンヘン大学』とドイツ語で言うだけでは『ミュンヘン工科大学』等と混同されるから)で会うことが出来た。入学手続きの1週間前だったが、氏の特別の計らいで研究室への出入りや本の閲覧も自由に出来ることになった(手続きが済んだ現在では当然、問題なし)。日本人の学生が1人だけいた(修士論文を書く為に6年間いるそうで、ドイツ語は私より上手)が、アルバニア語を勉強しに来た日本人は…やっぱりと言うか何と言うか…私が初めてだという。まさにこのこと故に、アルバニアでもフランクフルト(書籍見本市のこと)でも随分良い思いをしたのだ。

 授業についてはまだ詳しいことが分からないが、講義要項(全 680ページ!)によると、アルバニア語に関する授業だけでも週6コマある。学生登録が完了していないので授業に何人出席するのかまだ分からないが、既にイタリア人の学生が1人、アルバニア語研究の為に3年来在籍している。この人とは、出来るだけアルバニア語で話すという約束をした。他にアルバニア人の学者(最初に会った時は気付かなかったが、実はとても有名な人)が講師として赴任しており、当然アルバニア語が話せる。ついでながら、ここでは夜になるとアルバニアのラジオ放送も受信できるので、時々自分が何処へ何をしに来ているのかよく分からなくなるのであった。

 ひとまず先週と先々週は準備作業と称し、研究室や大学図書館や教授宅の蔵書からめぼしい論文を探してはコピーしまくる作業に明け暮れた。主要な雑誌類のほとんどが何時でも手の届く所にあるのは日本では考えられないことで、実に恵まれた環境だ。が、来年の夏までにどれだけ読めるか見当もつかない。明日は大学のすぐ近くにあるバイエルン州立図書館へ行く予定(何がすごいといって、蔵書が 660万冊もある為、検索した本を注文して受け取るまでに2日はかかる)。研究に関する突っ込んだ話が出来るのは、教授本人が多忙なこともあって授業開始以後になりそう。どんな人達と一緒に勉強できるのか楽しみだ。

 言うまでもなく、ミュンヘンには水準の高い美術館がたくさんある。既に現地ロータリークラブの案内で、イギリス庭園近くの「芸術の家」へ「バーンズ・コレクション」を見に行った。マティス、ロートレック、ブラック、ピカソ、モディリアーニその他の作品をまとめて鑑賞できるという「お得」な展覧会である。が、実はミュンヘンで美術館に行ったのはまだこの一回だけ。週末に散歩などしているといろいろ見かけるのに、何時でも行けると思うとなかなか行かないものらしい。それに、生活しているからには、お金も節約しなければならない。勉強したり、食事の支度をしたり、テレビを見たり(この時間は結構長いかも知れない。何しろ日本ではせいぜい衛星放送でしか見ることの出来ない様な昔のアニメや海外のシリーズものがしばしば放送されているので)する内に一日が過ぎていく。ちなみにかの有名な「アルテ・ピナコテーク」は、現在改修作業中で入れない。

 ドイツでは11月1日がキリスト教の祝日にあたる為、実際の授業開始は2日。


                     ミュンヘン 1995年11月12日

 バイエルンはそれ程寒くないと思っていたら、ばちがあたったのか突然雨風と共に気温が下がり、先週の土曜日には遂に雪まで降り出した。ドイツ人にとっても幾分突然だったと見えて、各地で事故が頻発し、テレビの画面ではリポーターが中継現場から雪まみれで喋っていた。日本の台風情報を思い起こさせる風景。

 新学期初日の11月2日に、大学の各学科で授業案内が行なわれた。いきなり各教室で授業が始まるわけではなく、学生の集まっている一室で教官達がそれぞれの担当する授業の内容を説明したり、学生と各教官とで授業時間を調整したりするというもの。実際、講義要項にも「時間は相談の上」というのが多い。何時、何処で相談するのか不思議で仕方がなかったが、この集まりがそれにあたるわけだ。 ミュンヘン・ルートヴィヒ・マクスィミリアン大学文学部言語文学科(第一)一般言語学及びインドゲルマン語学専攻…という長〜〜〜い正式名を書いたのは、別に箔を付けているわけではなく、ふざけてみただけ…の豪華絢爛たるドイツ人教授陣(それも日本の文系と違ってほとんど全員が『博士』)が順番に学生達の前に立ち、何を言うかと思いきや、「私の○○の授業に出たい人はいますか?(挙手なし)…いませんか?よかった、ではこの日は暇になりますね」「私の○○の授業は金曜日ですが(翌日が金曜日)…明日はやりません。来週からにしましょう」と、何やら日本でも聞いたことのある様な台詞が続出し、件のアルバニア学の教授はアルバニアの小旗(赤地に双頭の黒鷲)を振って受講生を呼び集めていた。

 アルバニア語に関する授業は、ほとんど全部が「時間は相談の上」。これは、受講生の中に働いている人が多い(ドイツ語−アルバニア語通訳になるための試験を受ける為)からで、授業も夕方から夜に集中している。おかげで平日の夕食は大抵9時過ぎ。だがよく考えると、YMCAから帰宅して食事をしていた広島の生活と、余り変わっていない。

 実際の「アルバニア学」の授業では、言語だけでなく文化や歴史への言及が多く、予想していたとはいえ非常に新鮮。「アルバニア語学」と訳したのは、明らかに誤りで、アルバニアの存在自体が余り知られていない日本では考えられない。

 特に興味深かったのは、方言と標準語をめぐる問題。アルバニア語が北部方言と南部方言に大きく分かれており、現在の標準語が南部方言主体のものであることは既に知っていた(なお、アルバニアの旧労働党指導部の大部分は南部出身。この事実が約20年前の正書法制定に影響している)が、こうした「規範化」の結果、現在の北部…特にセルビアのコソヴォ自治州…では書き言葉と話し言葉の乖離が進み、方言の再評価や正書法自体の見直しが重要な政治的かつ言語学的問題になっているらしい。実際、授業ではアルバニア人の講師やドイツ在住のアルバニア人学生も交えて話が進められるのだが、コソヴォ出身の学生が例としてあげる単語は、5年来アルバニア語を勉強してきたはずの私にも、全く判らない。

 日本語の場合はどうなのか、とイタリア人学生が尋ねるので概ね次の点を指摘しておいた。日本で本格的な統一標準語の試みが始まったのは、明治維新(ドイツ語では『王政復古』という意味の単語が用いられる)の直前であるが、こうした試みは、その後の日本が中央集権的な近代国家として発達した経緯と相応して割合「成功」した様に見えること。他方、過去には方言を一段劣ったものと見る傾向があったこと。語彙面、特に名詞の方言差はアルバニア語程ではないこと。イントネイションの相違を除けば、若い日本人は標準語と方言をほぼ支障なく使い分けるということ(意識しなければ福岡弁を喋れない私は、極端な例だが)。今から各県がそれぞれの方言を公用語にしようとしても難しく、政治的問題にもならないだろうということ(但しアイヌ語と沖縄語は別)。そんな考えを述べたところ、日本で特徴的な方言が用いられているのは何処かと訊くので、それは何と言っても「カンサイ」と呼ばれる日本中西部の地域が有力だ、と答えておいた。

 日本ではまず受けられないもう一つの科目として、中世アルバニア語の原典講読がある。これは、1555年に印刷された祈祷書(現存する最古のアルバニア語テクスト)を読む授業で、アルバニア人学生の立場からすれば、日本の高校で古文の教科書を読む様なもの。但し、日本の古語辞典の様な洒落たものは出版されていないので、読みながら慣れていくしかない。ここでも、アルバニア人学生の(日常生活に根付いた)語彙の知識に圧倒されている。唯一の救いは、私が日本人の割に…あくまで「日本人の割に」だが…古典語を読め、聖書の内容について知っている(私はキリスト教徒ではないが、バプテスト派の中学に通い、毎朝礼拝にも出ていた)ことだ。ギリシア語やラテン語を習っておらずキリスト教とも無縁の非ヨーロッパ人には「?」の部分が多いに違いない。

 予備知識のあるアルバニア語やインドゲルマン語学関連の授業では、ドイツ語もまだ比較的聞き取れる(もっとも、油断すると時々判らなくなるので気が抜けない)。しかし理論言語学に関する講義(例えば『コネクショニズムと言語学』)は、正直なところさっぱりわからないので、指定文献を読んで自習しなければ着いていけない。また、講義を聴きながらノートをドイツ語でとるのが大変である。日本語で書くとしても、実はその方がかえって面倒だろう。ドイツ語だけで思考出来る様になる必要がある。

 授業の合間には研究室で勉強するか、州立図書館に行くか、大学周辺にたくさんある本屋を見て廻っている。当地の研究室は純粋に本を読んで自習する場所で、助手も交えて雑談に花が咲く、という雰囲気はない。私はどちらかというと自室で一人になって本を読む方が集中出来るので、授業の間が極端に空いている木曜日や、授業が午前中で終わる金曜日には、大抵帰宅している。少し昼寝もしたいからだ。自分に一番快適なリズムが分かれば、毎日研究室に通う必要はなくなる。ついでに書いておくと、ミュンヘン大学の構造は…歴史と伝統のある建物であることは認めるが…迷路の様に複雑で、部屋から部屋へ移動するのが少々億劫なのだ。

 州立図書館には大抵の本や雑誌があり、アルバニア国内の出版物もほとんど常備されている。嬉しい限りだが、持ち込みで長時間自習するのには向いていない。借り出すか、必要な部分のみコピーする方が良い様だ。この州立図書館を使いこなすまでこれまた紆余曲折があった、が余りに技術的な話なので書く気がしない。

 それにしても、これだけ文献に恵まれた環境では、何を選んで読むかよく考えなければならない。ちょっとした分量の本は差し当たり必要な箇所だけ読んで、あとは机の上に積みっ放しというのが実情だ。系統的で集中的な短時間の読書、が理想だが、本性が必ずしも勤勉でないので困る。

 大学生活に関して一つびっくり仰天したことがある。ここでは履修手続きが存在しないのだ。入学手続きの際に空白の時間表が書かれたノートを貰い、そこに自分で科目名や時間数を書き込むだけ。それを学期末の試験時に持参するのだが、事実上何のチェックもなく、出席の確認も各教官任せ。学生が6万人以上いる(しかも日本以上に多様な人々が通っている)ので一括した管理のしようがないらしい。素晴らしい伝統だ、と唸ってしまう。

 新聞の話題を書いておく。ここ2週間のドイツのニュースで最も扱いが大きかったのはやはりラビン暗殺で、事件の翌日、大学も含めてミュンヘン市内の公的な建物にはドイツ国旗とバイエルン州旗が半旗にして掲げられていた。ナイジェリアの反体制作家ケン・サロウィアに対する死刑執行は、英連邦との関連で論評されている。国内では、閉店法の改正が難航している。現行法では、商店の開店時間は平日18時半までで、土曜日の午後と日曜日には開店出来ない。これほど厳格にキリスト教的な法律を維持している国はヨーロッパでも珍しく(バイエルン州では、パン屋が日曜日にパンを焼くことも禁じられている。以前或るパン屋が日曜日に焼きたてのパンを出したところ、州当局に止められた)、さすがに現状にそぐわないということで閉店時間の延長案が出て来たが、保守系の議員がなかなか承知しない。ちなみに今夜からデパートを舞台にしたテレビドラマが始まるが、その番組名が皮肉にも「日曜開店」である。政府予算はこの間決まったと思ったら、失業保険の削減案をめぐって与野党がもめ続け、一昨日やっと議会を通過した。

 大和銀行の一件はこちらにも伝わっている。少し前に、江藤総務庁長官発言をめぐる騒動の記事が入って来た。どうも日本の戦争経験者の中に、この手の発言をものすることは何か良い意味で「反時代的」かつ「論争的」なのだと勘違いしている人達がまだいる様だ。また、自分の歩んだ過去へ拠り所を求める心情故に、こうした発言を「よくぞ言ってくれた」と内心快く思う人達もいるのだろう。人間の変わらぬ感情が常に善くはたらくとは限らない、という例だ。50年も時間があったはずなのに、こうした人々と次世代の人々が本音で公然と話し合う場を持たなかったのは、つくづく怠慢だと思うのだが…誰の怠慢なのか?

 9日は「ベルリンの壁」が開いた日の6周年。しかし国内では何の記念行事もなし。むしろ1938年の同じ日にドイツ全土で起きた所謂「水晶の夜」にちなむ催事の方が目立った位だ。その「水晶の夜」…1938年にユダヤ人商店やユダヤ人居住地やシナゴーグへの襲撃、放火、殺人がドイツ各地で発生し、夜空に「水晶」の如くガラスが散乱した…より5日前の11月4日に、私はミュンヘン郊外のダハウという町を訪れた。  ここは、1933年3月(ヒトラーが首相になったのは1月)にドイツ国内で初めての強制収容所が建設された所である。中央駅から電車で約20分の静かな普通の町だが、バスに乗って(車内でアルバニア語の雑誌を読んでいたらアルバニア人に声をかけられた)約10分、更に最寄りの停留所から少し歩くと、灰色の壁と監視塔が見えてくる。塀の中の広大な敷地には、展示用に残された二三の建物や鎮魂碑の類を除けば、無数の収容者用バラックの土台が並んでいるだけだが、灰色の冬空の下ではそれがまたかえって凄絶な光景だ。

 実は7年半前にミュンヘンに来た時、最初に訪れた施設がこの収容所跡地であった(正確には『イギリス庭園』と『植物園』が最初だが、これらはほとんど単なる公園)が、その時は祈念展示館を見る時間がなかったので、今回は閉館時刻まで4時間近くかけてじっくり見た。「見た」と言うよりパネルの内容を「読んだ」と言う方が正しい。当時の新聞記事や書類の写しの写真などを丹念に読むと、その頃の状況がよく理解出来る。一つ、いや二つ可笑しかったのは、同時に入館した日本人学生のグループが、パネルのドイツ語を読めない為あっという間に先にいなくなってしまった(無理もない。当時の印刷物の活字は所謂『亀の甲文字』で、私もなかなかすぐには読めなかった)ことと、売店で日本人の男性が店員(勿論ドイツ人)に堂々と日本語を喋りながら絵葉書を買っていたこと。

 郵便振替口座を開いて数日後、郵便局から呼び出しがあった。私が何時もの様に漢字で署名したところ、中央局で受理されなかったという。結局、ローマ字転写した氏名を書き添えて一件落着したが、自文化を理解させるのも時には一騒動だ。


                         ミュンヘン 1995年11月26日

 ドイツでは今週ジョン・レノンの新曲「Free as a bird」とビートルズの2枚組CDが発表され、ちょっとした話題である。私が購読している新聞の見出しは「えっ、死人が歌っている?」。一方月曜日の夜、或るテレビ局は予定されていた番組(『燃えよドラゴン・怒りの鉄拳』)を変更してバッキンガム宮殿からプリンセス・オヴ・ウェールズの単独記者会見を独占中継した。ミュンヘンの大衆紙が伝えるところによると、この放送局が放送権獲得の為に払った額はおよそ29万マルクという。

 「新聞ダイジェスト」が広島から届き始めた。これで日本国内で報道されている話題が正確に把握できる様になった。問題は、新聞記事の内容がほとんど1カ月前のものであること、また、全ての新聞記事が掲載されているわけではないので、特定の細かい分野(例えば新聞の投書欄)や、日本ではごく当たり前のちょっとした情報(例えばテレビの新番組や新譜CD情報など)が手に入らないこと。もう一つあげるとすれば、必要もないのに就職試験対策問題が載っていること(時々暇つぶしに解いているが)。

 役立っている例をあげると、先月9日の田沢法相辞任を伝えたドイツの新聞記事中で「仏教集団」とあったのを、創価学会のことではないかと思っていたが、今週届いた10月分で確かめてみるとこれがまるっきり私の思い込みによる間違いで、田沢氏自身の支持団体である立正佼成会のこと。しかも資金を出したのは田沢氏でなく立正佼成会、受け取ったのは「野党議員」(これが新進党だというのは当たっていたのに)でなく田沢氏本人だった。

 念の為、先月分の新聞を引っ張り出して読み直してみると、 「日本のトモハル・タザワ法相が昨日辞任した。彼には 280万マルクの貸付を隠すよう野党議員と取り引きした疑いがあり、その金を彼は或る仏教集団から受け取っていた。後任には自民党の衆議院議員ヒロシ・ミヤザワが任命された」 とこれだけ!前後関係が全く示されていないので2度目の「彼」が「タザワ」を指すのか「野党議員」を指すのかよく分からず、すっかり誤解してしまった。それにしても、日本で最も問題にされた国会質問中止をめぐる疑惑は、ドイツ語の文面から殆ど読み取れない。どうもこちらの新聞報道というのは、ことアジア関連となると断片的で大雑把だが、もっとも日本の新聞もヨーロッパ(特に東ヨーロッパ…更に特にアルバニア)方面の報道となると、よそのことを言えた義理ではない。

 ドイツでの主な海外情報としては、アメリカでのボスニア和平協定、フランスによる再々々度の核実験強行、ポーランド大統領選挙で旧統一労働者党系候補のクヴァシニエフスキが現職のワレサに勝ったこと。国内問題では、カトリック教会の制度改革(例えば女性司祭の任職など)を求める署名運動、ドイツの難民受け入れに関する新条項が憲法裁判所の審査にかけられたこと、社会民主党の党首にオスカー・ラフォンテーヌ(フランス人みたいな名前だがドイツ人)が選ばれたことなど。80年代後半から次期首相と目されてきた人物の、ようやくの党首就任である。

 ここからは、テレビ番組の話を詳しく書いておこう。人気番組のほとんどは「輸入もの」だが、適当に分類して説明する。

  アメリカのシリーズもの。「特攻野郎Aチーム」「新スパイ大作戦」「新刑事コロンボ」や「新スタートレック」は当地でも放送されている。  特に「スタートレック」は、新作映画や多くのギャグ、パロディも含めて、もはや欧米文化の一部と言ってもよかろう。今年は第1作の放送開始から30年目にあたるそうで、或る大きな書店の一角には「スタートレック」コーナーが設けられ、カーク船長やスポック副長ら…つまりウィリアム・シャトナーやレナード・ニモイらの等身大パネルが客を迎えてくれる。大学の近くには「スタートレック」グッズの専門店があるので、多分学生の中にも「Trekky」(新しい英和辞典には載っている)がいるのだろう。

 この他、地球人と異星人が共存する未来の宇宙基地を舞台にした「Babylon 5」や、FBI特別捜査官が毎回UFOや心霊現象絡みの奇怪な事件に遭遇する「X-Files」(ただし空飛ぶ円盤も宇宙人もほとんど出てこない!)など、日本ではビデオ販売のみ(と言ってもビデオデッキがないので噂に聞いていただけ)のシリーズもテレビ放映中。ちなみに、「Xファイル」の主役を演じているDavid Duchovny(どう発音するのかよく分からないのでそのまま書く)はアメリカで既に人気者らしいので、今後日本でも要チェック。更に「シークエストDSV」(『ジョーズ』でサメと戦った『海の男』ロイ・シャイダーが、超ハイテク潜水艦の艦長)「アース2」(未知の惑星に移住した人々の物語。古典的アメリカ人が好きそうな『開拓もの』の宇宙版)「エマージェンシー・ルーム」(名前通りの病院もの)というスピルバーグ製作指揮のシリーズ3作が今月から始まっている。その内日本でも紹介されるだろう。

 アメリカのホームコメディ。基本スタイルは「奥様は魔女」以来全く変わっていない。画面の手前から笑いが聞こえてくる(更に『スペシャル・ゲストスター』の登場時や泣かせる場面では拍手が起こる)という、例のあれだ。

 「これぞアメリカだ」と宣伝されている「一つ屋根の下で」(別に江口洋介も酒井法子も出ていないが、ドイツ語版の番組名 Alle unter einem Dachはこういう風にしか訳せない)は、アメリカのご陽気な黒人家庭を舞台にした物語。テルマ・ホプキンス(よく聞く名前だが…ありゃ、テルマ・ルイーズか?)も出演しているが、ほとんどの事件の張本人はジェリル・ホワイト(アメリカでは有名なのかも)演じる近所の高校生スティーヴで、特に用もないのにやって来ては一騒動やらかす(『カックラキン大放送』の『お笑いお茶の間劇場』で車だん吉や関根勤が…かえって分かりづらいな)。全体を通して妙にノリが良く、こういう番組を典型的なアメリカンコメディとして放送するドイツ人のアメリカ観が何となく判る。ドイツ製のもので「フィアシュタイン一家」という番組もあるが、やはり家族もの(『四石家の人々』?)。

 NHKで放送されている(されていた?)「アルフ」は、ドイツでも夕方6時台に放送中。日本語版の吹き替えは所ジョージと小松正夫だが、ドイツ語版でも似た様な雰囲気の声優を起用している。

 これらホームコメディは、日常の極めてくだけた言い回し…「(小松正夫風に)ア〜ルフ!一体どういうつもりだ!」「(所ジョージ風に)何のこと?」とか「ヘーイ僕の可愛い娘ちゃーん、どうだい景気は?(これが前述のスティーヴ)」「調子に乗らないで!何の用?」とか「飲み物は何にする?紅茶?ミネラルウォーター?それとも、あ・た・し?」…を覚えるのに最適なので、できる限り見ている。もっとも、実際に使うことはないのだが。

 アニメーション。ドイツの場合、アニメ等の「子供向け」番組は平日の早朝と昼食時(ドイツの学校は日本よりずっと早く終わる)、及び土日の午前中に集中して放送される。日本の様な夕食時のアニメやお笑い番組の類は、ほとんどない。こちらの「ゴールデンタイム」は大体午後8〜10時だが、映画やショー番組が主なので、子供にとってはそれ程面白くない時間帯ではないか。どうも、ゴールデンタイムに子供向け番組を放送するという発想がない…と言うより、ゴールデンタイムに子供向け番組など「放送したくない!」という発想がある様だ。

 アメリカ産アニメのほとんどは所謂ハンナ・バーバラ作品で、「フリントストーン(ドイツ語では直訳してFeuerstein)」「バッグズ・バニー」など個人的に懐かしいものばかり。日本で「トムとジェリー」の一部として放送された「ドルーピー」はドイツ語で「ドロップス Drops」と呼ばれ、全編「お約束」ギャグの連発。ダイナマイトを仕掛けて隠れるが、紙袋の破裂した音に騙されて仕掛けた場所に舞い戻り、爆発に巻き込まれる。音を立ててはいけないと言われている家で足に火をつけられたり尻に針を刺されたりするが、その度に近くの山に駆け登って叫ぶ。木に斧を打ち込んで遠くへ逃げ、「倒れるぞー!」と叫ぶと自分の頭に倒れてくる。等々々。何だか「吉本新喜劇」が懐かしくなる…「(桑原和男氏、玄関に立ち、以下独演)ごめん下さい、どなたですか、近所のたばこ屋の桑原のおばあちゃんがお土産を持って参りました、お入り下さい、ありがとう(一同コケる)」ってね。あぁ、テレビで吉本が見たい。

 しかし噂通り日本製アニメの多いこと!評価が高いのは「ハイジ(ほとんどドイツアニメ)」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「小公女セーラ(ドイツ語では『ザーラ』)」「楽しいムーミン一家」「カリメロ(ほとんどイタリアアニメ)」など。他「キャプテン翼(ドイツでは『素晴らしきサッカースター』)」「キャッツ・アイ(『スーパートリオ』。杏里の主題歌がドイツ語でカヴァーされてる!)」「燃えよアーサー(『アルトゥス王子』)」、少々古くなるが「アタックNo.1(『スーパースター・ミラ』…でも、日の丸のゼッケンを着けた主人公がどうして『ミラ』なんだ?)」も見ることができる。

 そして驚くべきことに「セーラームーン」まで!主題歌が全く別の曲で、会話がドイツ語に吹き替えられている(『月の名において処罰する』とドイツ語で見栄を切っている!)他は、BGMも含めてオリジナルのままなのだが、一つ困ったことに、日本人であるはずの主人公の名前が勝手に「バニー月野」にされている。「ルー大柴」じゃああるまいし…しかしふと気付くと、水兵の服を女子学生の制服に流用していない国の子供に「セーラー服美少女戦士」の意味が理解できるのだろうか?

 特撮。日本の特撮「ヒーローもの」もアメリカ経由で流入している。東映の戦隊シリーズ「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」から特撮シーンを流用し、生身の人間が出演する部分はアメリカ人俳優で撮り直して編集した番組が「パワーレンジャー」という題名で放送中。同じく東映の「メタルダー」他1作から、これまた特撮シーンのみ失敬して作った「VRトルーパー」という番組もある。バンダイのおもちゃも売られている(何と『スタートレック』のおもちゃまでバンダイ製。じゃあ日本でも売ってくれよ!)。

 巨大ヒーローものもある。円谷プロの「グリッドマン」(まあ、ウルトラマンみたいなもの)が「サイバークエスト」という題名で、これまたアメリカでの撮り直し分と一緒に放送されている。「ツブラヤ」といえばアメリカのSFXファンにはお馴染みらしいが、ドイツではどうだか分からない。

 これらの作品は、日本版オリジナルの古い映像とアメリカ版撮り直し映像をつないだもの。なので画質が一様でなく、時々どう見ても日本の住宅地としか思えない風景が割り込んでくる。そして主人公達(勿論アメリカ人)のアクションは妙に不自然な「ジャパニーズ・カラテ」。おまけに彼らの通うカラテ・スクールの名が「タオ・ドージョー」(漢字に直すと『道道場』?!)だったり、道場正面に何の意味だか大きく「水」と書かれてあったり(『君子の交わりは水の如し』?)、キッチンでインスタントラーメンを食べながら「うーん、アジアの味ね」と感心したり、見ていてつい吹き出しそうになる。もっとも、日本人は一人も出て来ないので、大半の子供達は「メイド・イン・ジャパン」だと気付いてないかも知れない。

 しかしこれらの日本製(正確には日本産アメリカ経由)作品に対して、子供の親にあたる年代の評価は全く芳しくない。特にアクションがことのほかお気に召さないらしい。ロボットアニメの待遇はもっと悪く、例えば「ヴォルトロン」という番組(日本では10年以上前に『ゴッドシグマ』という題名で放送されていた)で、サブタイトルが「地球の危機」だった時の或るテレビ雑誌の解説など「こんな番組を見るのは『子供の危機』だ」と駄洒落で片付けてやがった。その他海外向け日本製アニメや特撮に対する「大人」の評価は散々で、「暴力的」とか「朝っぱらからくだらない」とか「チャンネルを替えた方がいい」とか、果ては「テレビを消して電気代を節約しましょう」とか、何だか約20年前の日本の教育関係者の発言を聞いている様だ(『ガンダム』や『マクロス』の最新作なんか見せたら卒倒するだろう)。

 恐らく、巨大な…それも飛行機や自動車が合体した!…人型ロボットが剣や大砲を持ち出して破壊し合ったり、巨大な人間と怪獣が都市の模型の中で取っ組み合うという設定は、成熟したヨーロッパ社会の「大人」にとって想像を絶するものなのだ。また現実の子供に対する暴力、或いは子供間の暴力に敏感なこの社会では、「子供向け」のものはできるだけ非暴力的で、明るく楽しく心暖まる、しかも教養に溢れた作品であることが望まれているのではないか。一方で「大人」向けの映像(特にアクションやポルノグラフィー)に日本以上のハードな描写が見られるのは少々滑稽だが、要するにこちらでは「大人」文化と「子供」文化の線引きが明確なのだ。少々方向は変わるが、或る右翼系紙の「文化帝国主義と米メディアコンツェルン」と題する記事(物凄いタイトル!)では、「パワーレンジャー」が「純粋な文化の味わいを損なう」と写真入りで槍玉に上げられていた。ただ、確かに配給元はアメリカの会社に違いないものの、どうもこの記事を書いた人物も「パワーレンジャー」が本来「メイド・イン・ジャパン」であることを知らないらしい(すぐ隣の記事で『北方領土はロシアが50年支配しようとも日本の領土である』と主張してくれている)。

 放送する側もこうした点には気を遣っているらしく、例えば「VRトルーパー」のエンディングでは主人公3人からの「お知らせ」として「コンピュータゲームもいいけど、時には外で遊ぼう」とか「カラテは喧嘩の為じゃなく、あくまで身を守る為の技術なんだ」などと子供に話しかけている。昔日本のテレビで流れていた「仮面ライダーのまねは危険だからやめましょう」というCMを思い出した。

 「国産」番組で気に入っているのは、土曜日の夜に放送されている「えっ、何?! (Wie Bitte?!)」と「SAMSTAGNACHT(直訳すると『土曜夜』にしかならないのでそのまま書く)」。「えっ、何?!」は、ドイツの所謂「お役所仕事」をめぐる悲喜劇(視聴者からの手紙による)をコント仕立てで再現し、みんなで笑ってしまおうというユニークな番組。この番組を見て最初から最後まで笑えるようになることが、留学の目標の一つとなった。一方「SAMSTAGNACHT」は主に若い人向けで、歌ありコントあり、日本のヴァラエティに最も近い番組。

 日本の「ワイドショー」の様な番組はないと前に書いたが、ドイツ人が他人(特に有名人)の幸不幸に全く無関心かというと、そうとも限らない。例えば、午後4時前後や午後7時台には、一人の人物(『マルチタレント』という感じで大抵各局専属)が司会を務める番組が放送されるが、そこでは普通のニュース番組で報道されない局所的で特異な事件を紹介することがある。もっとも、日本の様にリポーターが関係者宅まで追いかけたり、変におどろおどろしいBGM(それも大半がアニメや特撮のBGM集から採ってきたもの)を流したり、必要もないのに大学教授がコメントしたりといった傾向はない(否、最後の傾向だけは少しあるかも)し、芸能人の私生活には日本の場合程関心が払われていない(あくまで日本と比較した場合の話)。他に、一般視聴者の悩み、例えば「恋人が自分の友人と付き合っているらしい」「夫が私の下着の趣味にうるさい」といった類にスタジオで答えるもの(おっ、みのもんた!)も。3組の新婚夫婦が豪華な「夢の結婚式」をかけてクイズやゲームの成績を競い合う番組(往年の『新婚さんいらっしゃい』『愛ラブ爆笑クリニック』より遥かに派手)や、ずばり「10万マルクショー」という、やたら視聴者の射幸心を煽る番組もある。

 テレビで放送される映画は原則としてノーカット(時間延長は当たり前)、ドイツ語吹き替え。毎晩8時台と10時台に集中するが、週末の深夜には昔の名作や、少々マイナーなもの(ドイツ語でも『カルト映画』という)も見ることができる。最近見た作品は「ビッグ」「ブレード・ランナー」「未知との遭遇完全版」「サイレント・ランニング(1971年アメリカ製作のSF。傑作)」など。一方見逃した映画は「フランキーとジョーニー」(ミシェル・ファイファーとアル・パチーノ)「蜘蛛女のキス」そしてイザベル・アジャーニ主演「Mortelle randonnée」(邦題不明。『殺意の夏』か?)など。おまけ;実写版「ハイジ」。ただし現代版かつアダルト版なので、二十歳前後のナイスバディのハイジが素っ裸で草原に寝そべっていたり、クララがディスコ通いをしていたり、ロッテンマイヤーさんが乱交パーティーをしていたりする。ストーリーが余りにもくだらないので、興奮するどころか笑いっぱなしだった。


                         ミュンヘン 1995年12月9日

 ミュンヘンの街にもクリスマスの飾り付けが目立ち始めた。12月の毎土曜日は「長い土曜日」と呼ばれ、商店も午後まで営業している。今週の月曜日には、2つ並んだ玉葱型の塔で有名な聖母教会のコンサート(ロータリー財団後援)に招待された。1年前に火事で焼けた教会の修復と、待降節(クリスマス前の4週間)を祝うパイプオルガン+コーラスを鑑賞させて貰う。

 大学の授業開始から1カ月が経過し、すっかり慣れた…否、全体的に慣れたことは確かでも、依然として授業のドイツ語には苦労している。講義は聴く(または聴いている様な顔をする)だけなのでまだ楽だが、アルバニア語関連の授業は少人数な上、教授とも当然顔馴染みなので、時々親し気に意見を求められると、どぎまぎする。予想外に大変なのは外国語(ブルガリア語とルーマニア語)の授業で、他の学生がドイツ語---外国語 の二方向で思考している時に私はドイツ語---日本語---外国語の三角形の中で考えているのだから、質問に答える為の時間がどうしても長くなってしまう。ブルガリア語もルーマニア語も一応日本で学習したのに、ここではまるっきり初心者の立場に戻ってしまった。

 更にドイツ人学生は容赦なく日常的な言い回し、かつ早口、で話しかけてくる(しかも当人に悪気はないのでなお始末が悪い)から、ごく何でもない話題が何遍聴いても判らないとなると少々げんなりする。どうやら私の場合、どの外国語についても発音・イントネイションだけはネイティヴに近いと言われても、語彙力が追い着かないと、「何を発音しているか」はちゃんと判るにも関わらず「それが何を意味しているか」を判断するのに尋常ならざる苦労を伴う…何と言語学的!…ということの様だ。まあ赤ん坊ならこの手順でOKだが、生憎私はちょうど2年2カ月後の今日で30歳なので、これでは全然いただけない。とは言え、これだけは地道な訓練と慣れによってしか克服できない…とは、フランクフルトでも書いていることだ。

 その何かと大変な授業に変更2つ。中級ブルガリア語の授業が他の授業と重なる時間帯に移った為受講できなくなり、類型論の演習は初日参加者が2人(つまり私とドイツ人1人だけ!)しかおらず、「これでは演習にならない」という教授の一言で消滅してしまった。そんなわけで増えた空き時間を、文献探しと論文コピーに充てている。実質的な滞在期間があと半年と少ししかないので、文献収集を第一に考えているものの、潤沢と言われるロータリー奨学金から毎月1000マルク近くが本代とコピー代(ドイツの大学研究室には学生用コピーの割り当てなどというものがなく、大学周辺はコピー店だらけ)に消えていく。質素な自炊生活と言い、余り広島での生活と変わらない。注文した本が絶版だった時にがっくりするのも日本並みだ。

 今週のドイツは、和平成立後のボスニア・ヘルツェゴヴィナへ連邦軍が出発するということで、日本の話題どころではなかったが、火曜日の朝、新聞を開くとまるごと1ページ分日本の話題が載っていた(しかも国会で居眠りしている議員の写真付き)。何事かと思ったら、宗教法人法改定をめぐる混乱…国会前で座り込みとか乱闘という記述がある。本当か?…を報じる記事で、東村山市議の不審死にも言及し、「新進党がダイサク・イケダに従順な組織であることが明らかになった」と批判的な論評を加えていた。他には、沖縄米軍基地用地使用の代理署名を拒否している大田知事を村山首相が訴えた(と読める)こと、山口敏男がとうとう逮捕されたこと位。一方、ここミュンヘンでは木曜日の夜、市内の銀行に強盗が人質をとり立てこもった。翌日無事に解決したが、夜帰宅してテレビをつけると見慣れた風景が出てきたので驚く。

 テレビ、ということで前回の続き。クリスマスを目前にして、大好きな「古典」中の「古典」である「トムとジェリー」が始まった。既に、ダイナマイトの入ったラッパを吹いたら破裂してヒマワリみたいになるシーンに笑わされる。クリスマスの前後には「スタートレック(旧)」や「アマデウス」など、新旧の映画も多数放送されるので、冬休みの勉強に支障をきたしそう。

 ドイツのFMには24時間クラシックのみを流し続ける放送局があって、この部屋でも、テレビを見ている時以外、朝から晩まで…そして現在も…クラシックが流れている。クラシックといっても純粋な古典音楽だけでなく、時には「E.T.」のテーマ、「スタートレック」のオープニングテーマ、「日曜洋画劇場」のエンディングテーマ(何という曲だか知らないが)などがリクエストされることも。深夜には、サティのピアノソロ(ビートたけしの『その男、凶暴につき』で使われた曲も聴いた)などソフトなものが中心になる。が、油断しているといきなりルチアーノ・パヴァロッティが大音声で歌い出すこともある。


                 ミュンヘン 1995年12月31日/1996年1月1日

 ドイツの新年は、午前零時の時報と同時に舞い上がる無数の花火で明けた。7階にあるこの部屋からも、近所でぽんぽん打ち上げられる風景がひとしきり見られた。と、ここでかの「打ち上げ花火」のラストシーンより先に、トムがジェリーにロケット花火ごと飛ばされる場面を連想した私は、つくづくテレビ好き。もっともドイツの花火は純粋に陽気なお祭り騒ぎの為の仕掛けなので、〔日本の〕夏の終わりの花火のもの寂しさを期待する方が無理というものだ。何しろ、この花火騒動による火事の為、死傷者まで出る始末。なお、ドイツ在住の日本人から聞いた話だが、大晦日以外の日に許可なく花火を打ち上げてはいけないらしい。

 ドイツでは25日と26日がクリスマスの祝日、23日と24日も土日にあたるので事実上の4連休、更に3日おいて30日が土曜日、31日と1日も共に祝日で3連休だった。北部はともかくミュンヘンの場合、クリスマス前には暖かくなるというジンクスがあるらしく、20日頃から気温も10℃近くまで上昇。26日から雪が降り始めたが、ホワイトクリスマスと言うには時既に遅し。現在は、昼も夜も零度を下回っている。

 ドイツのクリスマスは家族揃って静かに過ごす期間(『クリスマスは大切な人と』といっても、『大切な人』の意味が日本と全然違う!)なので、寮の住人はほとんど姿を消し、街もひっそりと静まり返っていた。クリスマスと新年の過ごし方が日本人の場合とほぼ逆なのだろう。

 私はというと、冬休みに入って気が緩んだせいか、授業が終わった22日の夜からほぼ年末いっぱい微熱と頭痛の為にひとり部屋で寝ていた。モスクワ産インフルエンザが流行しているので、学校の冬休みも延長されるらしい。

 私には、一年間を振り返ったり、年の初めに計画を立てたりする習慣がまるでない(子供の頃さんざんやらされたので、もうやる気がしない)のだが、それでも今年は一年間に二度海外へ出かけた(一度目は自費!)こともあって、忙しかったものだと振り返る。ただし、それらの準備や事後処理に追われて、国内ではこれといった収穫がなかった。論文や研究発表は例年通りにそつなく片づけたが、ギリシア語文学研究会や西日本言語学会といった事前審査のない、またはないも同然の「身内」だけで満足するわけにはいかぬ。日本に戻ったら、アルバニア語関連の論文を載せてくれそうなところを一度真剣に探した方が良さそうだ。

 1991年に広島大学に来てからそろそろ5年になるが、文系大学院での生活に良くも悪くも慣れが出てきた。生活は楽ではないが、YMCAからの収入(帰国後これを再度確保できるかどうかが問題だ)と奨学金で、欲しい本やCDも大抵買える。油断すると現状にはまってしまいそうだ。研究室の人間関係に馴染んだのは良いが、初めて広島に来た頃の緊張感が失せてしまった。例えばこうだ。4年半ほぼ毎週演習に出席していれば、教官や他の大学院生の学問的関心事や、ポイントの置きどころが大体分かってくる。そうすると、自分の研究発表の際にも「○○氏はここを尋ねてくるのではないか」などと考えて準備できる様になる(卒論に関して発表する4年生は、これができないから必要以上に緊張するのだ)。しかし本来研究というのは、純粋に自分の頭の中に生じた問題点を追求するものであって、身内の反応を先読みするだけでは全然充分でない。宿題をやってない高校生が、自分があてられそうな問題だけ休み時間に解いて切り抜ける様なものだ(上手い例え)。他でもないアルバニア語を研究しているということで(或いは『日本人である』ということで)、実際以上に評価されている面も恐らくある。そのギャップを広げぬ様にしなければならぬ。

 そんなことを考えていたところへ、留学の話が舞い込んできた。局面の打開を求めて飛びついたのも無理はなかった、と改めて思う。

 その留学生活もまる4カ月が経過して残り半年と少々。最初の頃の興奮が収まり、最近は少々憂鬱な感じになることがある。自分のドイツ語にまだ充分自信が持てないこと、奨学金の後半分支払いを前にしてふところ具合が寂しくなってきたこと、そろそろ夏学期の手続きをしなければならないこと、冬休みが明けたら授業で少し発表をしなければならないのにまだドイツ語で喋る為の準備ができていないこと、更に膨大な文献をコピーしなければならないこと、毎日天気が悪いこと…今までは大して気にならなかったことばかりなのに、病み上がりで気分が滅入っているのだろうか。

 話題変更。年末はカレーライスを作って喰う。サシミやスキヤキやトーフは金をたくさん出せば食べられる(たぶん)が、カレーライスや焼きそばやおにぎりや和風スパゲティは自分で作るしかない(醤油とカップヌードルは普通のスーパーにもある)。でもドイツの調味料だけでは、日本で売られているカレールーの風味が出せない。どうもソース(『ウスター』とか『とんかつ』のこと)がないのが致命的だった。

 年末の娯楽はやっぱりテレビを見る位しかなかったが、例によって妙に大味な(上手く表現できないが)「○○ショウ」の類にすっかり飽きてしまった。「かくし芸大会」とか「いいとも特大号」とか「ドリフ大爆笑年末総集編」みたいなのがあれば、といっても無理な相談だ。仕方がないので(変な言い方だが)映画ばかり見ていた。「バットマン・リターンズ」と、これもミシェル・ファイファーが出ている「ベイカー・ボーイズ」(ピアノの上に寝そべって歌う姿の艶っぽいこと)、「フォーエヴァー・ヤング」に「セント・オヴ・ウーマン」といったところ。

 前に紹介した「えっ、何?!」が年末に「ぽんこつ大賞」と称して、おかしな仕事をしている公共機関を「表彰」した。例えば…或る人がドイツ鉄道で同じ区間の切符を3回買ったところ、3回とも表示料金が違っており、よく見ると営業キロ数まで違っていた。で、窓口に訴えてもらちがあかないので文書で問い合わせた。返事曰く「当社では新しいキロ計量法を採用いたしました」。全世界共通の単位を勝手に変えた大胆不敵なドイツ鉄道の本社前にスーパーマン姿のプレゼンターが赴き、メガホンで広報担当者を呼び出し、貰っても迷惑なだけの黄金のトロフィーを授与。素晴らしい。

 それから「はい、笑って」という番組で視聴者のハプニングビデオを紹介しているのだが、何処かで見た映像が時々出て来るので不思議に思っていたら、何と「さんまのからくりTV」で使われている海外映像だった。配給元がたまたま同じなのだろうが、意外な発見だ。

 最近の「社会的」話題;2002年7月1日EU共通通貨「ユーロ」への統合が決定したこと(日本の通貨が7年後に中国やシンガポールと一緒になる様なものだ)。ロシア議会選挙でジュガーノフの共産党が予想通り躍進し、オーストリア議会選挙で右派の自由党が予想外に伸びなかったこと。先々週アルバニアのサリ・ベリシャ大統領が初めてドイツを訪問したこと。我がアルバニア語の教授が通訳として同行。ちなみにこの大統領、私はアルバニアで国会を見学した時に約十メートルの距離からじかに見た。日本関連は、もんじゅの事故と小沢一郎党首の件ぐらい。首相来春退陣の表明はほとんど記事になってない。たぶん、トミイーシームールヤーマーとリュータローハシモートーが発音しにくいからだろう(冗談ではない。以前日米合作映画を見ていたら、宝田明が『アキラタカラダール』にされていた)。


                         ミュンヘン 1996年1月14日

 大学の授業も8日に再開され、することの多い日々が戻って来た。2月末までこの調子で、もう少し楽できればいいのにとは思うが、ほとんど一人っきりで手持ち無沙汰だった冬休みの期間より充実していることも確かだ。体調はほぼ元通り。

 「不測の事態」も相変わらず。今週はアルバニア語関連の授業で発表するつもりだったのに、当日出席してみると、教授が普段通りに講義するだけだった。どうも「1月18日(achtzehnten Januar)」を「1月10日に( am zehnten Januar)」と聞き間違えたらしい…10年来ドイツ語に接しながら、いまだにこんなことが!なおこの日の授業内容は教授本人の研究歴に関するお話で、30年以上前の学位論文のオリジナル原稿や、夏に出版される「ドイツ語−アルバニア語辞典」の校正前原稿などを見せて貰った。今ドイツに来ていなければ、見る機会もなかったろう。

 一方、明日からは夏学期の為の登録受け付けが始まる。10月の時程煩雑ではないが、半年毎に学籍を更新するこの手続きを忘れる人が毎回必ずいるという(そのおかげで、大学や学部の変更が日本よりずっと容易だという長所はあるのだが)。ロータリー財団奨学金の後半分が明日振り込まれる…はず!なので、健康保険加入金を引き出さなければならない。

 ところでこの期に及んで判明したことがある。バイエルン州の夏学期はドイツで最も遅く、7月末まで授業が続くのである。出発前にシカゴのロータリー財団が送ってきた航空券の日付は6月15日。これでは全然早過ぎるので、期日変更について交渉中。8月1日の前後にミュンヘンを出発できれば良いが、まだ何とも言えない。ただ、YMCAの夏期講習で職場復帰(?)するのはかなり難しいと思う。

 水曜日、例の如くロータリークラブ関連の会合に招待される。当日のお題は「ドイツのマスメディア」。ドイツにもフジサンケイの様なメディアグループがあり、海外番組の購入などを独占できるが、その際話題に上った全ての放送局や番組を私が知っていた…と書いても書き過ぎではあるまい(一緒に来ていたもう1人の日本人学生は多分全然分かっていなかったと思う)。世の中、何が何処で役に立つか分からない。個人的な印象だが、ドイツ人しか知らない様なテレビ番組や芸能人について私こと日本人が「それ見てますよ」とか「その人知ってますよ」などと言うと、結構うけが良かったりする。ちなみに最近読んだ雑誌記事によると、世界一テレビを長く見ている国民はやっぱり日本人(1日あたり4時間7分!)で、2位がアメリカ人(4時間3分)、ヨーロッパで一番よくテレビを見ているのはイタリア人(3時間41分)で、ドイツ人は2時間58分。しかしこれでも昔よりは長くなっているらしく、外へ映画を見に行くよりも自宅でテレビやレンタルビデオを見る方が楽でいい、というタイプのドイツ人も増えている。

 村山首相は4月にやめるだろうと…讀賣新聞の記事として…言われていたのに、数日後ニュースを見ているといきなり「ムールヤーマが辞任した」と喋り出したので驚く。土曜日にアルバニア語の雑誌を買いに中央駅へ出かけ、ついでに日本の新聞を覗いてみると大きく「橋本政権誕生」とあったので、本当だったのかと納得した。隣の社説に目を遣るとこれまた大きく「解散総選挙で信を問え」と至極もっともなことを言っている。しかし今すぐ総選挙を実施されても(在外邦人は)投票できないのでいささか複雑な気分。一国の首相交代、しかも自民党総裁=首相の復活とあって、今度は当地でも大きく報じられている。私の購読する新聞は「変革に対する日本人の情熱は95年の危機を境に消え失せた;神戸は崩壊し、東京の地下鉄は安全への信頼を失い、銀行倒産は勤勉な貯蓄家である国民を不安に陥れた。全てが自民党による再支配を容易にした」と気のきいた解説を加えている。

 ドイツ国内では特に大きなことは起きていない…失業率の増加なんて今更新しい話題ではない…が、ドイツ人観光客2人がコスタ・リカで誘拐されて海外旅行好きのドイツ人を不安がらせている。周辺では、今週始めにミッテランが死亡し(例によって翌日は街中半旗だらけ)、ロシアのコズイレフ外相とイタリアのディーニ首相が辞任し(台所で同階の住人と新聞を読みながら『最近辞任が流行ってるね』などと話したものだ)、チェチェン人ゲリラが隣のダゲスタンで人質を取ってロシア軍の撤退を要求するといった具合。

 1月1日より電話料金改定!ごく簡単に言うと、近距離通話料金が下がったかわりに遠距離通話料金が上がったのだが、これがもう空前の悪評。ありとあらゆる新聞・雑誌・テレビ番組で叩かれ、最近ではコントのネタにまでされている。例、郵便局での会話; 客「この手紙おいくら?」 局員「郵便料金が改正されましてね…お書きになったのは夜9時より前ですか?」 客「は?いいえ…」 局員「あ〜それは残念!9時以降なら料金は○%割引になるんですが…と、それでは中身を拝見…(ビリビリ)」 客「ちょ、ちょっと何するんですか?!」 局員「…なになに『親愛なるおばあちゃんへ』…『親愛』には愛情料金がかかりますね。『おばあちゃん』は高齢者割引になります。でもどうして『やぁおばあちゃん』になさらなかったんです?学割がきくのに…もっとも大学4回生までですけどね」

 実家に頼んでおいたカレンダーが送られてきた。月毎に九州各地の景色が載っており、部屋のドアの前に貼ると、同じ階のヨーロッパ人達に大好評。瓦屋根に桜が舞う場面なんてこちらの人々が見た日には、もう溜め息しか出ない有り様。これを除くと、私の部屋には日本人であることを示すものがパスポート以外ほとんどない(しかも『日本人なのに米を食べないのか?』なんて言われる始末だ)。で、その写真だが、プロの仕事とはいえ、博多湾と能古島(『のこのしま』と読む)の取り合わせがこれ程きれいとは、住んでいながら気付かなかった。


                         ミュンヘン 1996年1月17日

 今日ほど多くの日本の映像をドイツで見た日はない。寺で花を供え線香をあげて合掌する人々、読経する僧侶(教会で祈る模様などが映らないのは、どうしても『日本的』な映像を選んでしまうからだろう)、50年間戦争のなかった先進工業国とは思えない廃虚の風景、ビル街と仮設住宅、インタヴューに答える通行人など、長いところで3分程度は放送されただろう。これでも充分長い方だ。

 前日の夜から、黒海に面したトルコのトラブゾン港で、武装したチェチェン人が客船を占拠している。ロシア軍によるダゲスタンへの強攻作戦も継続中。しかもこの日は、5年前アメリカ軍によるイラクへの空爆が始まった日にあたる。これだけ隣近所が大騒ぎの中で、遙か東の彼方の、それも1年前の地震について解説付きで報道したのは、それが去年の日本を象徴する重大な出来事の一つだと考えているからだ(その割には人名を間違えたりするが)。

 日本では、たっぷり時間をとり、たくさん人を呼んでいろいろな角度から検証した番組が放送されていると思う。ビートたけしや筑紫哲也は自分の番組でどんなことを喋ったのだろう?私は、むしろ情報の洪水から遠いところでことの本質がすっきり見えてくるという、不思議な感覚を味わっている。

 戦後の日本ではそれ程意識されてこなかった国民の「貧富の差」が大災害によって初めて姿を現わしたこと。

 「国際都市」の雰囲気をかもし出していたはずの神戸でさえ、非常時に際して罹災外国人への対応は充分でなかったこと。

 近代的都市計画が、実は批判勢力のない議会運営によって巨大なリスクを放置したまま続けられていたこと。神戸市議会には野党が事実上存在しなかった(共産党さえ市長支持!)ことも、当時初めて知った。

 震災から得るべき教訓の中にも、なおタブーの面が多いこと(国家による『個人』補償や、原発立地点で地震が起こる可能性を誰も公に言及しないのが、私には不思議で仕方ない)。

 錯綜する情報が大変な誤解や偏見を残してしまうこと。報道ヘリの騒音で罹災者が救出できなかったとか、被災地で女性が外国人に襲われたとか、救援物資を積んだ海上自衛隊の船を港湾労働者が阻止したとか、裏付けのない情報や誤報がいまだに信じられているのではないか。

 社会的な関心に乏しいと思われていた「最近の若い連中」にも、実は機会さえあれば他者へ積極的にはたらきかける用意があったこと(当時YMCAの私のクラスで生徒数人が来なくなり、不思議に思っていると『神戸に行った』と言われ、私も『それじゃあしょうがない』と呟いた)。等々。

 ただし、こういうまとまった言い方では個々の出来事が見えなくなることも事実である。実際、私は当時、地震に関する報道特番を見ながら何とも言えない苛立ちを感じていた。おそらくそれは、何でもかんでも象徴化(または『図式化』。文字通りの例を挙げれば、『ニュースの森』で崩れた橋桁の模型を持ち出して解説を始めた時は、もうどうしようもない気分だった)し一般的にくくって説明してしまおうとする(しかも仕事上そういう風にするしかない)人達への苛立ちだったのではないか。

 もう一つ。これ程の大災害が同じ国の中で起こっていたのに、関西以外の地域では(義援金の件を除いて)日常的にほとんど変化を感じ取れなかったことを、さてどう見るか?福岡に行くと特にそう感じるし、確か、地震直後の日曜日も東京ディズニーランドの入場者数は減らなかったはずだ(娯楽を『自粛』すべきだったと言っているのではない)。残念ながら、人間の豊かな想像力をもってしても、他人の悲劇の痛みは容易に共有できない。しかし、こうした現実を認めた上でなお、離れた人間同士が互いの経験や思いを通じさせる方法について考え続けなければならない…もっともこれはどちらかと言えば作家の仕事で、言語学者のすることではないのだが…


                         ミュンヘン 1996年1月25日

 授業での発表日聞き間違い事件・続報。実は聞き間違いでも何でもなく、単に冬休み明けで他のみんなが忘れていただけだった。ということで、私は改めて2月1日、アルバニア語の人称代名詞における重複表現について発表予定。また忘れられてたりして…

 毎度のことながら、ミュンヘン程の国際的大都市でも日本に関する情報はお粗末なものだ。駅に常備してある新聞は「朝日新聞」と「日本経済新聞」だけ。かの州立図書館でさえ、日本製出版物は日本の大学で発行された英文雑誌などがほとんどで、日本語の新聞は見つからない。

 日本に関する知識についてもほぼ同じことが言える。年末、日本語の文法を調べる必要があって日本学の研究室を訪ねた。図書室の利用者証を作って貰う(ドイツの大学では各専攻研究室の図書を利用する際、中央図書館の利用者カードとは別に、それぞれの研究室で発行した利用者証が必要)際、ドイツ人の秘書が書類にいろいろ記入しながら、

「高校の卒業試験の成績は?」と聞く(ヨーロッパの多くの国同様、ドイツでも高校に卒業試験があり、大学に入学試験はない。成績は公表される)ので正直に、

「そんなものありません」と答えると、

「そんなはずないでしょう!」と言うので、

「日本の高校には卒業試験なんかありませんよ」と答えると、

「でも何か成績を示すものがあるでしょう?」と聞いてくる。

どうなってるんだと傍にある利用者名簿を見ると、明らかに日本人としか思えない名前が幾つか並んでいる。で、

「あなたは(日本学研究室の秘書のくせに)日本の高校に卒業試験がないことを聞いたことがないのですか?」と聞くと、

「いいえ」とあっさり答えて隣の部屋から講師を呼んで来た。さすがにこの人はちゃんと日本の学校制度を知っており、「コーコーではショーメーショを渡すだけです」と秘書に説明して一件落着…と思ったら、

「(改めて書類を作りながら)で、何でしたっけ、そのコー何とかというのは?」

「コーコーショーメーショです」

「コーゴー…」

「いやコーコー」

「コーコー…」

「そう、で、ショーメーショ」

「あーもう結構、コーコーだけで充分です」

「?!(それって単に学校の名前なんだが…)」

という次第。しかしここで不思議なのは、私より前に来た日本人達はどうやって無事に利用者証を手に入れたのか?ということだ。なお、どこの研究室でもこんなに「尋問」されるというわけではない。ほとんどノーチェックのところもある。

 またアルバニア語の教授には或る時「日本人は学校で中国語を習うのですか?」と真面目な顔で質問された。漢文のことを言っているのだとは思うが、勿論日本の高校で古代中国語の発音練習をしているわけではない。要するに、ドイツ人が地理的にも言語的にも近いスウェーデン語(ここで少し勉強してみたが、確かにドイツ語そっくり)やイタリア語を習う様に、日本人も中国語や朝鮮語を習うと推定されているらしい。また私が「姓・名」で自己紹介していることに気付かず「Herr Ichiro!」(Herrは姓に付ける)などと呼ぶ人もいる。この手の誤解は枚挙にいとまがないが、できるだけその都度きっちり説明している。これも国際交流♪だ。

 15日の月曜日に後半分の奨学金約7700マルク(ちなみに前半分は約8100マルクだったから、支給総額は年間 16000マルク近くになるというわけ)が私の銀行口座へ振り込まれ…るはずだったのに、ミュンヘンのロータリー担当者から「こっちに小切手が届いているが」という連絡。提出すべき書類を全て発送し、親切に口座番号まで再度連絡したにも関わらず、案の定だ。この巨大な国際的組織は今までも大体こんな感じである。すぐに小切手を受け取って銀行に振り込んだものの、現金が払い出し可能になるまでまる1週間かかり、保険加入金の支払いと夏学期の登録は少々ぎりぎりだった。

 それにしても、割り算して毎月1000マルク以内で暮らすのはなかなか楽なことではない。本さえ買わなければ充分何とかなる。しかしこの「本さえ買わなければ」というのは、日本でも実行できたためしがまるでない。

 しかし3月にもう一度アルバニアへ行くことを考えているので、航空券代ぐらい残しておきたい。宿泊先は、きっとまた「誰か」の家だろう。

 お金の話題ついでに普段の出費パターンを書いておく。月曜日から木曜日までは、研究室・図書館の文献コピー代と本代と郵便料金以外にはほとんど金が動かない。授業が終わった金曜日の午後、または土曜日の午前中には近所のスーパーへ食料品の買い出し。平日の買い物は…例えば主食品の安売り時などを除いて…できるだけ控える。雑誌類(アルバニア語の週刊誌と隔週刊のテレビ番組雑誌)も大抵週末に買う。日曜日は原則として外出しないので、出費は大抵0。

 朝食(または朝昼食)はパン(1kgのかたまりを買ってその都度ナイフで切る)とチーズまたはバターに、時々ソーセージのスライスという組み合わせ。必ずコーヒーか紅茶(セイロンかアールグレイ)を1〜2杯飲む。シリアル+牛乳という風景も見かけるが、冷た過ぎるので余り好きではない。夕食は大抵スパゲティ類に簡単なソースをからめて食らう。肉類は週末のみ、挽き肉か鶏肉を料理してこれまた麺類と一緒にいただく(結局米を食べたのは年末年始だけ)。時々休日の昼に夕食並みの食事をとることもある。野菜は毎日食べるとは限らないが、食べるとなるとレタスかブロッコリーか胡瓜か茄子かトマト。酒類は本来好きだが、節約して滅多に飲まない。魚介類は全く食べない。内陸部では「海の幸」が割高で…なんて言う前に、そもそも普通のスーパーには鮮魚類が置かれていない。食事は台所で他の住人と一緒にとることもあれば、自室でテレビ(先週木曜日の深夜『ハリーとトント』を見る。20年以上も前の映画とは思えない出来に、ビル・コンティの哀愁漂う音楽も秀逸)を見たり新聞を読んだりしながら一人で片付けることもある。外食は、他人と一緒の時以外しない。


                         ミュンヘン 1996年2月11日

 1月の終わりから雪の降る日が多い。日中ベッドに横たわって窓の外を見ていると、向かいの家の屋根も白なら空も真っ白で、疲れた時には眼が痛くなる。寒いことについては、今更書くまでもない。

 …と書いてはみたものの、実際には「ミュンヘン−5℃…東京−6℃」という日もあり、当地のニュースではむしろアメリカの異常寒波を心配している。また、どんなに古い建物でも暖房が24時間機能している(壁際に取り付けられた金属管の中を温水が循環する)ので、屋内にいる限りは全然寒くない。朝布団から出て「うー寒い寒い」と言いながらストーブをつけに行く風景とも無縁で、むしろ屋外との温度差が身体に良くない程。そんなわけで、日本から届くあらゆる手紙の類に枕詞の様に「ドイツは日本より寒い」と書かれてあると「それ程でもないのだが…」と部屋の中でひとり首をひねっている。もっとも他の日本人留学生は寒い寒いとぼやいているので、きっと私の方がどうかしているのだ。

 冬学期の授業もあと2週間と少し(しかも謝肉祭の時期が重なるので休講が増える)なので、そろそろアルバニアへ行く準備を始めるつもりでいる。ミュンヘン空港からはティラナ行きの直通便(所要2時間弱)が毎日の様に出ており、料金も600〜700マルクと断然格安。日本からの場合、伊丹−羽田(1泊)−成田−モスクワ−ウィ−ン(1泊)経由で、合計約22万円かかったのだから、よく自費で行けたものだと思う。ヴィザは前回同様、税関でドルかマルクを支払えばすぐ手に入るだろう。

 問題は、いつ行くかである。3月ないし4月にこだわっているのは、そろそろ行なわれる…らしい…4年振りの人民議会選挙に合わせてアルバニア入りしたいから。ごく私的な選挙取材と言ったところだ。現在、議会解散と総選挙実施を伝える大統領令の布告を待っている。

 勿論、資料の収集も重要な用件の一つだ。フランクフルトで会った書店主を訪ねて、新刊や古書の在庫を直接見せて貰う予定でいる。だが前回行った時は、図書館に行ったり、学者と会って話したりと、学問上の成果が少なくなかった一方、地方都市や名所旧跡を廻る時間が全くなかったのだ。写真も数枚しか撮っておらず、風光明媚なバルカン山麓の小国を他人に説明するには材料不足だった。今回はできるだけ「観光」もしたい。

 ここで世間に目を向ける。誕生日の朝、新聞の経済欄を読んでいると、日本で国鉄民営化以降の負債が28兆円に上り、うち20兆円を税金で精算する(日本人1人当たり16万円)という記事が載っていた。9年前、国鉄を民営化すれば赤字も解消されてサーヴィスも向上すると盛んに宣伝され、反対する労組は時代遅れ呼ばわりされたものだ。確かに、JRになってから駅員の愛想は良くなった、と言われる(もっとも、卑屈な営業用の笑顔が増えただけだし、国鉄解体直前の『国鉄マンはたるんでいる』調の報道には、今まとめて読み直すと明らかな行き過ぎが見られるのだが)。しかしこの約十年の間に、少なくない国鉄職員が「人材管理センター」という正体の知れない施設で自殺し、第3セクター化されたり人員が削減されたりした路線で重大事故が起こり(信楽高原鉄道の衝突事故は典型的だった)、おまけに今頃になって売却予定用地が売れないから納税者が一部負担しなければならないとなると、国営鉄道が私企業に切り売りされて本当に得をしたのは、一体誰だったのだろう?

 この日の夜、ロンドン市内でIRAが爆弾を爆発させて武装活動を再開した。ドイツの失業者数は遂に 400万人を突破し、ほぼ10人に1人が職につけないという戦後最悪の状態。ドミニカ共和国からドイツへ向かっていた旅客機がカリブ沖に墜落し、乗客全員が死亡した模様…どうしてこれがニュースになるのかというと、ドミニカ共和国へはドイツから年間45万人が観光で訪れており、墜落機にも 200人近いドイツ人観光客が乗っていたから(注意:『ドミニカ共和国』と『ドミニカ』は全く別の国)。

 ミュンヘンでは2月1日に学生デモ。これは、大学の各学期毎に1000マルクの授業料を徴収し、更に連邦政府奨学金の返済時には利子を請求する政府案に抗議する行動で、数日前からデモのコースと時間を伝える全学連(日本にある各種『全学連』とは何の関係もないが、ドイツ語名 Allgemeiner Studentenausschuß を日本語訳して短縮するとこうなってしまう)のビラが大学中に撒かれていた。

 当日、正午過ぎに大学周辺の3カ所から出発したデモ隊は、笛を吹いたり歌ったり(ほとんどサッカーファンのノリ)しながら大通りを通過し、午後2時前に大学近くのオデオン広場で合流して、2時間以上にわたり気勢を上げた。なお、当日の参加者は地元紙によると約6000人、同じ日にベルリンでも約5000人、ハンブルクでも3000人以上がこの統一抗議行動に集まった。国立大学へ4年間通うだけで約 200万円かかり、平均年1万円ずつ授業料が値上げされてきた日本で大規模な抗議行動がない、或いはあってもほとんど報道されない理由が分からない(後者の状況がより問題だ)。

 一方この日の私は、午前中の授業でどうにかこうにか発表を終えてすっかり疲れきっていた(アルバニア語研究歴30年の学者やアルバニア人学生の前でアルバニア語の例文を説明するのには、かなり勇気が要る)が、折りからエーゲ海で起こっていたギリシアとトルコの領土対立の詳細を知る為ギリシアの新聞を買うつもりだったのを思い出し、駅へ向かっていたところ、たまたまやって来たデモ隊と並んで歩く破目になった(あわや『モダンタイムズ』の一場面)。駅からの帰りにオデオン広場へ寄ってみると抗議集会の真最中で、他の通行人達と一緒にしばらくの間…と言っても1時間近く…演説や演奏を聴いてから帰宅。ドイツの都市には人々が自由に集まることのできる空間が多いことに、この日改めて気付く。都市の発展と民衆の蜂起との関係は中世ヨーロッパ史の研究テーマなのだろうが、それを実感する機会に恵まれたわけだ。

 ニュースで北海道のトンネル事故の光景が映る。私には事故そのものより「日本は何と寒そうな所だろう」という印象が残った。


                         ミュンヘン 1996年2月25日

 東京では大雪の為に大学入試の開始が遅れたらしい。日本は入試の時期だったことを思い出す。ミュンヘン大学でも幾つかの授業で期末試験の真っ最中(単なる講義や、各人に発表が課される演習は無試験)。私は今月初めの発表以降これといった義務もなく、結構のほほんと過ごしている。

 先週辺りから「今度の月・火は授業がない」という噂がちらほら聞こえてきたので、何事かと思ったら、謝肉祭(カーニヴァル)の為19・20日は事実上の休日らしい。

 つまり、キリストの復活を祝う「復活祭」が4月7〜8日(春分後の最初の満月の次の日曜日とその翌日。毎年変わる)で、その直前の金曜日(4月5日)が「キリスト受難日」、そこから日曜日を除く40日間が「四旬節」で、四旬節に入る最初の水曜日(2月21日)が「灰の水曜日」、その前日の月・火曜日(2月19・20日)が「懺悔の月曜日・火曜日」で、この日を含む直前の数日間が謝肉祭となる。奇しくも同じ時期、中国は旧正月を祝い、ムスリムはラマダーン(断食月)に入った。

 「四旬節」の間は肉食を断つ…勿論、今時本当にする人は稀だが…ので、その前にたらふく食って飲んで騒いでおこうということだ。私もたらふく食って飲もうと思ったが、例の如く貧乏(性)暮らしなので、料理用にワインを1本だけ買い(金子信男ばりに料理しながら飲む)、スーパーの精肉売場で普段「挽肉300g」と言うところを「挽肉500g」と言った程度。

 カレーの味がいまいちだった件についていろいろ考えた末、原因を突き止めた。ごく単純なことだった。市販の香辛料が全然辛くないのだ。パプリカなんか、ひとなめして「なめてんのか!」と叫びたくなる程辛くない。そこで市内のアジア食材専門店でインド製カレーペーストと中国製唐辛子味噌を買い求め、ひとさじ加えるとあ〜ら不思議、香りもついてすっかり美味しく変身。これまで、日本食は高いという感覚でアジア料理そのものを敬遠していたが、中国やタイやインドの食材は(新鮮な野菜や酒類は別として)値段的にも悪くない。

 こういう時期にはあちこちでパーティーの類が多いが、余り縁はない。ドイツのパーティーはとにかく時間が遅い。夜8時頃からぼちぼち集まり始め、食事を挟んで11時頃〜翌日未明までお喋りに花が咲く。日本でもこんなものなのかも知れないが、私ときたら、用がなければ午後5時以降は外出したくないという出不精、しかも授業が夜8時頃まであってくたくたなので、大抵さっさと帰りたい気分である。  外食をしたくないからといって必ずしも食が細いわけではない。が、食べれば食べただけ腹が膨れて苦しくなるし、消化の為に身体中の血液が胃腸へ総動員されて(こんなこと実際にはあり得ないが、さしずめそんな感覚)あたまがまるっきりはたらかなくなるので、人と一緒の時はたくさん食べることができない。だから平日は昼食をとらない。 Kun syön, niin raukaisee, kun herään, niin hiukaisee.

 ドイツの学生の「飲み」は、各自好きなものを注文し、帰りたい時に各自その場で勘定を済ませるという形式なので、私は美味そうなワインを選んで飲む程度にしている。これは良い習慣である。日本のコンパによくあるパターンとして、一律に会費を取って「食べ放題」の店に連れて行かれても、大喰らいが得するだけで全然面白くない。何処か静かな(カラオケは絶対いらない!)くつろげるところで、少人数で、持ち寄った手軽な材料で料理を作り、好きなだけゆっくり食べながら、床にでも寝そべり(古代ローマ風)、のんびり話をするという風にいかないものか。

 そんな私の思いをよそに(?)、ケルンを中心にライン河畔ではドイツ一派手なお祭り騒ぎ(芸人2人でかけ合うというものがあって、漫才にそっくり。但しマイクは各1本ずつ持っているのが日本と違うところ)があり、同じ頃ベルリン映画祭にジョディー・フォスターが来た。映画と言えば最近(勿論テレビで)見たのは、カーク・ダグラス&バート・ランカスターの「タフガイ」、ジェニファー・グレイの「マジック・ウーマン」、「インナースペース」、「ロッキー 」(2作目だけお気に入り)、ルトガー・ハウアーの「聖なる酔っ払いの伝説」、「Mr.レディ&Mr.マダム(こんな邦訳だったか?)」、「マイ・ガール」等。加えて、珍しく最近の日本映画「きらきらひかる」(1992年、薬師丸ひろ子・豊川悦治・筒井道隆出演)が放送される。

 先週日曜日はルター没後 450周年記念式典。ヘルツォーク大統領が今日のドイツ社会におけるルターの理念の実現を強調。生活の隅々にキリスト教的なものが浸透し、キリスト教民主同盟が政権を担当する等、厳密な意味での「政教分離」があり得ないドイツでは、教会の社会的影響は避けられない。一方、半世紀近く前の宗教家の業績が当時の超国家的な権威(教皇庁)を揺るがし、その後のヨーロッパに「革命」に等しい変化を引き起こした以上、大規模な追悼は当然である。

 教会と言えば、私は今、カトリックのキリスト教要理(江戸時代に『どちりな・きりしたん』という名で伝わっている…思えば、ルターなくしてイエズス会はなかったのだ)のアルバニア語訳を演習で読み、ヴルガタ(ラテン語訳聖書)も必要に迫られて拾い読み中。こちらに来て、在独アルバニア人から最新のアルバニア語訳聖書を入手。アルバニア本国で長く宗教活動が禁止され(1990年解禁)、イタリアやコソヴォのアルバニア人(カトリックが多い)とも接点がなかった為、日本では聖書がなかなか手に入らなかったのである。ちなみに私は、12歳の頃からごく個人的にキリスト教と縁があるのだが、両親は浄土真宗、父(朝鮮半島生まれ)の実家の仏壇には「天下大将軍」「地下女将軍」(朝鮮半島の土地神ペア)像が居候し、母は信仰心もないのに近所付き合いで「聖教新聞」を購読している。わけがわからない。

 フランスで徴兵制が廃止されることになり、同じ制度があるドイツでも話題になっている。兵役がある、教会に所属しなければならない、夫婦別姓はOKでも妊娠中絶は原則禁止、日曜日に店が開いてない…ドイツも妙な国だ。

 「竹島」の一件がこちらでも記事になっている。ヨーロッパでは、ギリシアとトルコの領海境界線上にある無人島の帰属をめぐり、一時両国海軍が出動する程の問題に発展した。こうした背景がある為、ヨーロッパの報道姿勢は尖閣諸島の帰属問題(日本vs中国vs台湾)と併せて「ここにも領土紛争が」という感じ。ただし外交折衝の報道は詳細でも、巷の日本人の反応はここから全く見えない。領土問題といっても「騒いでいるのは右翼だけ」が普通だった日本人が、事態の展開に冷静に着いていけるかどうか。北方領土問題で右翼並みに強硬な共産党は、今回どう反応しているのだろうか。

 先々週の日曜夜、日本の風景を久し振りにテレビでたっぷり堪能。タイトルは「ロリータコンプレックスと日本の性風俗」で(まあ、最後までお読み下さい)、「ブルセラショップ」の取材、ビデオ出演や売春の経験があるという女子高校生へのインタヴュー(ドイツではアジアへの売春観光が問題になっているので、まるっきり他人事でもないはず)、「日本の伝統的性犯罪であるチカン」の紹介等を通し、日本の十代女性と、「自分が常に優位に立って思い通りにできる、純真な年下の少女」(番組談)に群がる日本の男達の姿を浮き彫りにするという、異色の日本報道(30分)だった。

考察1 Chikanという綴りは「シカーン」と発音されがちだが、これはフランス語やドイツ語で「立場を利用した嫌がらせ」の意味。何となく象徴的。

考察2 で、これがなぜ「日本の伝統」なのか?ドイツ人は挨拶で握手をしたり、人を案内する際肩に触れたり、対人関係における身体の接触が多い。だが、必要もないのに他人の身体に勝手に触れたり、他人の外見に口を挟んだりする/されることを嫌う。こういう感覚の社会で女性の身体に断わりもなく触れれば、その場で何か言われるだろう。日本の場合、日常的な皮膚の接触が少ない半面、他人の身体に対する干渉(というか管理というか、支配というべきか)に存外鈍感なのではないか。学校の例を挙げれば十分だ。帰属集団や年長者に対する敬意が「起立・気をつけ・礼・休め・前に習え」といった身体の動作として要求されること(ドイツの場合、この様なものは軍隊や刑務所等『民主主義が一定の制約を受ける』施設にしか存在しない)、入学時に髪型を変えさせることについ最近までまともな反発がなかったこと、課内課外の立ち居振る舞い、服装や食習慣への「指導」まで教師の職務内容になること、「からだで教える」とか「先生、うちの子にもっとびしびしやって下さい」という言い回しが余り抵抗なく受け入れられること、等々。自分の身体の処し方を他人に委ねるこの様な環境に慣らされた人は、他人の身体の自由を侵害することに違和感を持たないし、される側には明確に抗議する為の実践的な言葉や動作が身に付いていない…というのは勿論私の推論に過ぎない。公教育で規律とユニフォームを重視する他のアジア諸国で、同じことが言えるかどうかは不明。しかし、自分の一つしかない身体の尊厳を保つことに無頓着で育ってきた人が、他人のそれを尊重するとは思えないのだが。

 閑話休題。番組ではこの他「ボディコン」を女性の自立の象徴として語る「お立ち台ギャル」を紹介、「Schamhaar というタブー」、「ペットブーム」や「ハイテクお葬式」にも触れていた。ちょっと時期がずれてる様な気もするが…  人名は例によって間違いだらけ。YakusoだのMitsikoだの、Keikoをカイコーと読むだのには今更驚かないが、ブルセラショップの店長がPoshioで、ペットブームを語る獣医が Jenki Uyama(Oyama Kenji に違いない)だったのには目が点。これ日本人?こういう間違いに接する度に、「どうして在留邦人に聞いて確かめないのだろう」と思うと同時に「でも日本でも海外報道でこういう間違いたくさんしてるんだろうな、きっと」と思う。

 2月14日朝のテレビ。会社の上司に「ギリチョコ」を渡す日本の女性達が紹介され、「この日にチョコレートを貰えない男性は出世できないと言われる」と冗談みたいな解説(勿論冗談だろう)。 女性「いえ愛情は別に関係ないですけど、やさしい上司には日頃のお礼ってことで」 上司「いや義理だってのは分かってんですが、やっぱり貰うと悪い気しませんから」 デパートで5歳の子「お父さんにあげるの、2個食べちゃったけど」

 チョコレートの総量3万トン、高価なものは1個 800マルク、売れ筋は日本酒入りチョコだって…本当かい、こりゃ?  ドイツでは花束を贈るのが主流。もっとも個人的にはヴァレンタインより、女性が男性に本を贈るというスペインの「サン・ジョルディの日」の方が日本で広まってくれないものか(でもあれ何月何日だったっけ?)。

 とまれ、現実の社会的現象に即応したこの手の報道は大いに結構なことで、日本関連の知識が伝統芸能とハイテクに偏りがちなドイツ人にも良い刺激となろう。その内「アニメーション大国・日本」なんて番組は…あ、これも一種のハイテクだ…

 外国に長いこと滞在すると「愛国的」になると言われるが、今のところは、日本もつくづく妙なところだ、と思うばかり。

 同じ階に住むブルガリア人の彼女に、冬生まれの私がどうして冬好きなのかと聞かれる。「冬には生への希望が隠れている」(細川俊之風)と言ったら爆笑。彼女の恋人(ドイツ人)も2月生まれ、しかし冬好きだなんて聞いたことがないとか。

 雪が薄く積もった翌朝なんぞ、外に出ると空気がぴんと澄み切って、足元でさくさく音がしたり、枝から雪が粉砂糖の様に落ちてくるなんていうのは、冬ならではで心地良い(しかしこの雪が夜には凍結し、転倒者続出。私も帰宅時に2回、『すってーん』とひっくり返った)。

 私の部屋の机は窓に面していて、目の前がすぐ外の景色なのだが、最近はみぞれまじりの降雪で、白いものが舞っているのにしょぼしょぼ雨音が聞こえるという不思議な空模様。こんな天気も、落ち着いた感じを与えるので嫌いではない。私が変?


                         ミュンヘン 1996年3月10日

 当地は2月末で冬学期が終了。留学期間も残り半分となる。最終日には皆でアルバニアのドキュメンタリー映画を見て、まる2カ月間の春休みに入った…はずなのに、私はほぼ毎日大学へ通っている。学位取得予定者はここで中間試験(授業の成績評価の方法は各教官任せなので、公式の試験はこの中間試験ぐらい。ここまで放ったらかされると、却って自主的に勉強したくなる)。しかし全然関係ないので、休みを利用して、日本から持って来たイスマイル・カダレ(最も有名なアルバニア人作家)の翻訳の続きでもしてみる。

 勿論、アルバニアへ行くことも忘れてないが、現在彼の地は少々騒然としている。2月27日の朝9時(日本時間同午後5時)にティラナ(アルバニアの首都)のスーパーで、自動車に仕掛けた爆弾が爆発。4人死亡、30人負傷。更に6日夜には、ドゥラス(アドリア海に面した港町)で爆発未遂事件。1989年以降、何かと不安要因の多いバルカン半島諸国の中で、実はアルバニアだけがこの種の事件と無縁だったのだが。もっとも、アルバニアへ行く意志は全く変わらない。

 一昨日「コソヴォ共和国」文化相の記者会見を聴きに出かける。記者会見と言ってもレストランの様なこじんまりしたところで、至るところ手作りの雰囲気が漂う。アルバニア人通訳がしょっちゅうドイツ語を間違えるのも御愛嬌。勿論アジア人は私だけで、移動する度に視線が殺到するのには参ったが、少しはアルバニア語が話せるということで、お菓子を振る舞われたりして、終始親切に扱われた。

 昨夜ミュンヘンの公開生番組に出演した日本人学生が「ドイツは日本より寒いと聞いてたくさん着込んで来たが、日本の方が寒いと思う」と発言。ちなみに前述のカダレによると、アルバニア語の「2月」は「短い」に由来し、「寒いながらも気高い1月と、若々しい3月との間には、ひどく鬱陶しい2月が存在する」んだそうで、私の誕生月は甚だ不評だ。

 帰国便変更の件でシカゴのロータリー財団本部に連絡(コレクトコールで喋った筈なのに料金を請求されるというおまけつき)。私の航空券は9月まで有効なので、日付を変更する為に駅前のJALミュンヘン支店に赴かねばならない。

 最近目についた出来事;チェチェン独立を支持してキプロス・トルコ航空機をハイジャックした犯人が、昨夕ミュンヘン空港で逮捕された。今日はミュンヘン市議会選挙(EU市民にも選挙権・被選挙権がある)で、夜9時(日本時間翌朝5時)現在、キリスト教社会同盟が市議会与党の社会民主党を若干上回り、緑の党が後退し、右翼の自由市民同盟が第4勢力に躍進する勢い。ところで先週はスペインの総選挙だったが、投票締め切りが夜8時。日本もこれぐらい延長したらどうだろう。

 連立与党予算案を阻止する為に新進党の議員が議場入口に座り込む写真が新聞に載る。ひとがちょっと留守にしている間に!沖縄の裁判の模様もテレビに映る(開廷前の、日本人全員が押し黙って座っている映像は無気味)。落合恵子は判決に納得していないらしい。中国のミサイル実験は日本でどう受け止められているのだろうか?血液製剤でHIVに感染した血友病患者が、ドイツの製薬会社バイヤーを訴えたそうで、私の購読紙die tageszeitungは2日続けて第1面でこれを報じている。

 この他日本国内の報道は、言語学研究室の学生2名に送らせている「新聞ダイジェスト」から知る。一度空輸途中で封筒が破れ、「新聞ダイジェスト」は無事だったが、買い送る様に頼んで同封して貰った「ゴーマニズム宣言」8巻は紛失。今頃、どこかの国の空港職員が日本語の漫画を見つけて「???」となっていることだろう。

 情報を急ぐ時は、駅へ日本の新聞の一面を覗きに行く。でも買うのはアルバニア語やギリシア語の出版物。店員も初めは「何をお探しで?」と尋ねていたが、最近では「この東洋人は放っといた方がいいらしい」と分かったらしく、もう何も言わない。

 週末にスーパーで買い物をしていると、店内BGMに坂本龍一の「Etude」 が流れていた。さすが世界のサカモト。


                  アメラング(バイエルン) 1996年3月24日

 ミュンヘンから南東に約60km離れた小さな村の、或るドイツ人の家庭で今週末を過ごしている。

 この家庭は、私がちょうど8年前に九州大学の学生としてドイツを1カ月旅行した際、1週間厄介になったところだ。独文科教官によって自主的に始まったこの企画にはその後も毎年50〜70人の学生が参加し、今年で13回目。5回目の参加者である私は、ドイツに来た学生達がこの村の各家庭に滞在する時期にちょっと顔を出す為、再び懐かしい一家のもとへお邪魔したというわけ。昨日は住民と学生・教官によるパーティーにも参加。私(と同期の旅行参加者)が、この家庭に来た最初の日本人である。8年も経つとお互い外見も家族構成も変わる上、記憶も薄れてしまうが、思い出しながらお喋り。

 再来週はいよいよ復活祭の4連休。


                       ミュンヘン 1996年4月5〜8日

 先週の日曜日から夏時間に戻り、日本との時差は再び−7時間となった。当地は4月なのに降雪というふざけた空模様で、これではホワイトクリスマスならぬホワイトイースターだ。地元の銀行では、復活祭前の顧客サーヴィスとして本店内でコーヒーとケーキが振る舞われ、私も復活祭につきものの色付き卵を貰って帰宅。これで兎がいれば完璧なのだが、この寒さではちょっと無理だろう。

 先月末に「ローザ・ルクセンブルク」の朗読会。福岡から来た学生達と3日間を過ごした他は、相変わらず大学で論文のコピーに明け暮れる。本が随分多くなったので、既に2箱広島へ発送。あと4〜5回は続くだろう。

 今週はキリストが甦った[とされる]おめでたい期間なので、私もいささかおめでたく、マケドニア共和国産ワインを片手に御相伴に預かるとしよう。

 井浦伊知郎と愉快な仲間達  寮の北棟7階住人は、私を除き♂6人、♀1人;ドイツ人ゲロルト♂、ヴォルフガング♂、アンドレアス♂、フランツ♂、もう1人オーストリア人のヴォルフガング♂、アメリカ人デイヴィッド♂、ブルガリア人ヴェラ♀。彼(女)らの部屋にはしばしば恋人が遊びに(場合によっては泊まりに)来る。本当はいけないのだが、誰も気にしていない。ヴェラの彼氏クリスティアンとフランツの彼女マリイは、私もよく知っている。

 最もよく話をするのはヴェラで、これには理由が二つある。一つは、私が日本人としては異例にもバルカン半島(勿論ブルガリアを含む)について知っており、ドイツの政治的話題にも関心が高い(彼女はコミュニケーション論と国際政治学専攻)ので話が合う為。もう一つは、二人共外国人なので週末も頻繁に顔を合わせる為。

 現在ドイツ人は全員帰省中。もう1人の非ドイツ人デイヴィッドは、ヨーロッパ放浪の旅に出たっきり。その代わり、他所から来た2人の学生が春休み中だけ空き部屋に泊まっている。これも本当はいけないのだが、黙認されている。

 一般言語学及びインドゲルマン語学研究室にはたくさんのドイツ人、非ドイツ人学生がいるが、直接言葉を交わすのは大抵アルバニア語専攻の人。イタリア人1名、ギリシア人1名、ハンガリー人1名、アルバニア人2名+α(飛び入りで授業に参加する在独アルバニア人が大勢)…あれ?ドイツ人がいない…いや、仕事をしながら通訳になる為に通っている年配のドイツ人が2人。日本人は研究室に2人いるものの、専攻が違うのでなかなか顔を合わせない。

 ロータリー財団奨学生は大半がアメリカ人。日本人はもう1人いるが、この人は典型的な「勉強しかしない」人らしく、研究室も違うので、財団関連の催事でも滅多に見かけない。留学生の大部分が女性であるのは日本と同様。

 俺はもうジャズ通  福岡から来た学生、及び広島の学生からの情報によると、日本ではウルフルズとインヴィジブル・マンのCDが売れていて、Mr. Childrenの最新曲は「名もなき歌」だそうだ。広島に戻ったら、取り敢えず部屋にあるCDを片っ端から聴きたい。

 最近はラジオでクラシックだけでなく、ジャズ専門の局も聴いている。ジャズも悪くない。なおこの曲、深夜には海外の曲も紹介するが、ピチカートファイヴはここでも人気者だ。

 ドイツのFMは洋楽(英米のこと)選曲に際し新旧を問わないらしく、いまだにToTo やGenesisやStarshipが頻繁に流れている。そうかと思うと「East 17」や「Take That」等イギリスの男性グループが日本のアイドルに相当する様だ。

 ミュンヘンに来たのをさいわい、輸入盤CD店を時々廻っているが、意外というか当然というか日本盤が結構出回っている。英米盤もあるが、日本のCDと値段も余り変わらない(もっともこの部屋にはラジカセしかないので、買ってもすぐに聴けないが)。少々認識を改めて、広島に戻ったらCOM-CityやTower Recordを覗いてみよう。

 遅れてきたテレビっ子(『TV-Kinder』 というドイツ語があるらしい)  これまた福岡から来た学生によると、「Xファイル」は日本でも既に放送されているらしい。以下、テレビ事情再論。

 その1 非教育的ホームコメディ  アメリカンホームコメディというと「心暖まる」イメージ(ラストでは必ず親子がしっかり抱擁し合う、とか)が強いのだが、毎回見ていると飽きる。日本風「毒の効いた」コントが懐かしい。そんな「日本風」に限りなく近いアメリカンコメディ「お人好しな一家」(原題 Married with children…『子供みたいな奴と一緒になって…』とでも訳すのか?)は、名前通りお人好しな一家が巻き起こす無意味なドタバタ+例によって画面手前の笑い声で週末に放送中。

 仕事と家庭の狭間で疲れきった父アル・バンディ(私が勝手に『アメリカのビートたけし』と呼んでいる迷優エド・オニール)は家族サーヴィスそっちのけで「唯一の武器」であるリモコン片手にテレビの前を占領する毎日(このテレビも笑いのネタの一部)。そんなやる気のない宿六亭主にどういうわけだか首ったけの妻ペッグ、女優を目指す為には手段を選ばない娘ケリー、ひたすら女にもてたい息子バット。彼らは頭のねじが一本何処かへ飛んじゃっているらしく、どうでもいいことに毎回てんやわんやの大騒ぎ(金銭絡み、被りもの、パイ投げ、下ネタ含む)。ノリは極めて日本のヴァラエティ調。こんな「低俗番組」なのに存外人気があり、先月初めに10話連続5時間に渡りオールナイトで放送。それを見ながら結局一晩中起きていた私も私だが…ドイツ社会(或いは成熟した中欧文化)特有の鬱陶しさを中和する番組。他に、大昔日本でも放送されたスパイものコメディ「それゆけスマート」等も時々見る。

 その2 所謂SF  くどい様だが「スタートレック」は間もなく放送開始30周年(正確には今年9月8日)。ということで、当日は勿論、それまで半年以上にわたってドイツ各地でも催事(映画上映会、トレッキーの集い、ビデオ発売等)や最新第4作放送、特番が目白押し。既に或る局では、通常のシリーズ再放送に加えて、先月は週末毎に劇場版全7作を放送した。日本でもこういう放送の仕方をしなければ、作品世界が浸透しない。

 テレビ版「ロボコップ」を見た。キャスティングは総入れ替えされているが、オープニングがオムニ社のふざけたニュースで始まるのは映画と同じ。1話完結で、デトロイトを騒がす悪党どもをロボコップが懲らしめるのだが、映画と随分雰囲気が違う。映画では「おまえを逮捕する」と言って結局撃ち殺す(!)パターンがしばしばあったが、テレビではちゃんと逮捕している(当たり前のことなのに何だか新鮮)。また、どんな凶悪事件でも死人は滅多に出ない。テレビ用ということで、残酷な場面を排除し、御家族揃ってお楽しみいただこうという姿勢が貫かれている。映画で「諸悪の根源」だったオムニ社の会長はすっかり好々爺になり、毎回妙な開発をしては犯罪に利用されて失敗し、一介の警官や子供に注意される度にすぐ中止する(!)憎めない役回りを演じている。最大の特徴は、マーフィーの妻子や両親(ロボコップがマーフィーであることは知らない)がしばしば登場することで、映画では最後まではっきりしなかった「家族」との関係がきめ細かく描かれている。この番組、日本ではパイロット版第1話しか放送されていない。勿体無い話。

 「スーパーマン」のリメイクも。基本設定は原作通りだが、90年代版はテンポがより軽快。クラーク・ケントの両親(地球の)は健在で、ケントは毎週空を飛んで実家を訪れる。「S」スーツは母親の手作り、要するに地球の繊維製なので、爆発に巻き込まれたりすると本人は無事でもスーツが汚れてしまう。で、母親に電話して染み抜きの仕方を聞く始末(飛んで行けば良いのに…)。この他、昼食に中華料理を買ってくる様ルイスに言われ、香港へシュウマイを買いにひとっ飛びしたり、コーヒーがぬるいので眼から光線を出して温めたり、等々。レックス・ルーサーは街を牛耳る大財閥の頭目で、ナルシストの割にお人好しの小悪党(しかも日本の骨董品集めが趣味)。スーパーマンも随分変わったものだ。

 「MANTIS」という番組に注目している。或る事件に巻き込まれて下半身不随になった学者(黒人俳優。よく考えるとアメリカンヒーローとしては画期的)が、自ら開発した強化服で超人的能力を身につけ、悪と闘う。アメリカンヒーローというと、もとから強い主人公がスーツやマスクで正体を隠して登場する(例;スーパーマンやバットマン)のが相場だが、この作品の場合、普段は全然強くない人が小道具でパワーアップするという点、むしろ日本的である。

 その3 アニメーションと「アニメ」  現在ドイツで放送されている比較的新しい日本製アニメは「セーラームーン」を除けば「宇宙船サジタリウス」「スプーンおばさん」「ふしぎの海のナディア」(森川美穂の主題歌がドイツ語でカヴァーされている)等。「ナディア」の放送継続に関しては少々心配だ。私の記憶が正しければ「ナディア」のストーリーは、最初の内はよくある冒険活劇(一応ジュール・ベルヌ原作となっている)だが、後半から急速に戦闘的・SF的な展開になり、最後には宇宙戦艦同士がパリ上空でエッフェル塔を吹っ飛ばして派手な空中戦をやらかしていた様な…健全なドイツ人家庭のお父様お母様方が目を回してひっくり返る前に、番組が打ち切られるのではなかろうか。

 しかし、この種の海外番組がことごとく放送されなくなったら、その後どうするのだろう?ドイツには、国産のテレビアニメーションがほとんどないのだ。ドイツの映像関係者もこの点承知しているが、人材・資金・経験の面でアジア(日本・韓国・台湾)とアメリカに全く及ばない。概してヨーロッパの場合、芸術作品としてのアニメーション(現在ちょうどシュトゥトガルトで上映会が行われている)には市民権があるものの、身近な娯楽としてのテレビアニメは全く未発達で、要するに日本と逆だ。

 その4 ドイツ流「検閲」?  前に、ドイツのテレビで放送される映画は原則としてノーカットであると書いた。しかし半年も経つと、そうとも言えないことに気付いた。年末年始に放送された「ロボコップ」や「ターミネーター」は至るところで場面が飛んでいたし、本来楽しい映画である筈の「グレムリン」でさえ、グレムリンをレンジに入れて吹っ飛ばす場面等はすっぱり切られていた。映画館やレンタルビデオに縁の薄い私がこれに気付いたということは、つまり日本のテレビではちゃんとその場面が放送されているということだ。或る月刊誌の特集で知ったのだが、ドイツでは市販の劇場版ビデオやコミック、日本製ゲームソフトにもしばしば編集が加えられている。「青少年保護」の目的で暴力的場面を削除する措置がしばしばとられているのである。

 もう一つ、ドイツのメディアで忘れてはならない要素がある。政治的目的による鉤十字の使用や、右手を斜め上方に伸ばすナチス式敬礼は憲法違反で刑事罰の対象になる。あの「スタートレック」でさえ、メンバーがナチスドイツへタイムスリップするエピソードは長らく放送されず、最近ようやくビデオでのみ発売された。

 勿論、言論・表現の自由は憲法で保障されているが、しかし伝統や社会秩序との兼ね合いでしばしば問題になる。唯一、日本より規制がゆるいのは性描写である。だがこれも「Sex-Shop」と呼ばれる「18禁」専門店内の商品に限られており、決して野放図ではない。最近、テレビ局からの電波に特殊な信号を加えて「青少年育成上好ましくない」箇所で受信が遮断されるシステム(アメリカで導入済み)を巡り、ドイツでも一般家庭に取り入れるべきか否かで議論が分かれている。

 テレビで「暴力的」番組が放送されていることより、現実のドイツ社会が既に暴力的要素を孕んでいること(日本的『いじめ』はほとんど報告されていないが、学校内での乱闘事件等は深刻)、輸入番組に依存して、魅力あるオルタナティヴな自前の子供向け映像文化を「大人」の側で用意できていないことの方がよっぽど問題だと思うのだが…まぁ親御さんには親御さんの立場があるのだろう。ただ、以前「子供と親の為のテレビ雑誌」とやらを試みに1冊買ってみたら、「赤信号番組」のリストに何時ぞやの「パワーレンジャー」(フランクフルトのショウには子供が3000人集まり、おもちゃが飛ぶ様に売れていたとか)や「ミュータントタートルズ」と並んで「アタックNo.1」と「キャプテン翼」が載っていた。どうしてなのか未だにさっぱり分かない。誰か理由を教えてくれ!

 その5 テレビ文化と90年世代  私はドイツで日本の番組を一所懸命(どちらかというと系統的に)見ている。勿論こういう番組が好きなのだが、こうした非国産映像メディアが10年後、20年後のドイツ人にどの様な影響を与えるかにも興味はある。今のドイツには、20〜30代の芸能人をゲストに呼んで1960〜70年代のテレビ番組を紹介し、テーマ曲が流れてくると客席から歓声が沸いたり、ゲストが嬉しそうに「いやーこれ見てましたよ」とか「○○の××のシーンが好きなんですよ」とコメントする様な番組はない。もっとも、日本にもそういう番組はそれ程昔からあったわけではない。現在のドイツで(親にいろいろ言われながら)テレビに見入っている子供達が、成長して消費活動の主力になった時、「大人向け」番組中心のドイツのテレビに何が起こる(或いはなーんにも起こらない)のか?。

 その6 肉体運動部門 その他  サッカー専門の番組はたくさんある(主にドイツとイタリアの話題)が、野球はごくごくたまに、通常のニュース番組の枠内で、それもアメリカ関連の話題としてしか言及されない(ノモ?誰それ?)。選手のプレーや監督の表情などを面白くつないで編集したもの(所謂『珍プレー好プレー』)は、ドイツの場合サッカーかテニスについてということになる。野球知らずの野球嫌いは、この地に魂の安らぎを得ている。

 更にメイド・イン・ジャパンの脅威  ドイツのコミックはA4判以上の装丁・全頁カラーで、値段も単行本並み。傾向としてはアメリカンコミック調に輪郭のはっきりしたごついリアリズムから、抽象画すれすれのものまで様々。日本のコミックに比べると、時に「画集」を眺めている様な感じがする(明確なストーリー性がなく、むしろ絵そのものを見せるという風)。ドイツで古典的人気があるのは 「Asterix」というローマ時代のガリア人を主人公にしたフランスの作品。私と同年代の人から現在の子供まで知っており、アニメ化もされた。アジアの「ドラえもん」みたいなものだ。

 日本人が描いたものは「マンガ」という独立したジャンルを確立している。タッチ等の特徴をひとことで言うと「大友(克洋)系」。「AKIRA」が欧米に与えた衝撃が如何に大きかったか、よく分かる。日本の漫画そのものは…例えば台北の書店の様には…置かれていない。ドイツ版として再編集されている様だ。

 新聞の文芸欄曰く「高度の官僚体制下で規範化・平均化された日本社会」では「一般大衆の為のカタルシス」として漫画の中に「暴力的な描写」が多い…また!こういう日本分析が通り相場になっている…んだとか。ところで最近、ドイツで出ているCDのジャケットに孫悟空(勿論『ドラゴンボール』の)とラッキーマンの顔が並んでいたのには絶句した。一体何処から流れ込んだのだ?

 4月6日、復活祭恒例の反核平和行進を見に行った。その後で湖が見たくなり、ふらりと郊外線の電車に乗って、ミュンヘンから南に約30km離れたシュタルンベルク湖近くの駅で降り、湖畔を散歩。行ってみて気付いたのだが、ここはブラームス所縁の湖として有名で、「ブラームスの小路」に記念碑まである。

 4月18日から25日までアルバニアに行く予定(大統領選挙は5月以降にずれ込み)。大学内にある旅行代理店でミュンヘン発ブダペシュト経由ティラナ行のハンガリー航空便を予約したら、往復で何と 539マルク!予約手数料や税金等を併せても百マルク紙幣6枚でお釣りが来た。もっと驚いたのは、カウンターの若い職員に「ティラナまで」と言っただけで「ティラナですね。出発御予定日は?」とすんなり反応が返ってきたこと。日本ならまず「は?」だ。ヨーロッパっていいところだ。

 朝鮮半島の様子も気になる。しかしそれ以上に、TBSで収録した坂本弁護士の未公開インタヴューがオウム真理教に流れ、のみならず同弁護士失踪時に局関係者がそのことを黙っていたというのは本当なのか?


                           ミュンヘン こどもの日

 アルバニアからミュンヘンに戻ってみると、街路の桜は乱れ咲き状態。ようやく今度こそ間違いなく、春。

 「新聞ダイジェスト」で民法改定要綱案を拝見。これはいただけない。感心できない折衷案。非嫡出児に対する相続格差の撤廃と選択的夫婦別姓は結構なことだが、子供の姓も婚姻時に決めなければならないのというのでは、議論の中心だった家族形態の多様性(特に子供を持たない可能性)に全然配慮していない。どうして「子の出生時」にしなかっただろう?大相撲界スキャンダルは当地でも新聞沙汰。

 先週、留学先のパリから遊びに来た元同級生(♀)の案内で美術館や飲食店を訪ね歩く。初日は付きっきりだったが、すぐにくたびれて、大半を当人の自由行動に任せる。初めての場所がほとんどだったのは、独りで住んでいると却って出歩かないからだ。ピナコテークには行く時間がなかった。他に案内する相手がいないと行き忘れてしまいそう。  2日から夏学期が始まり(1日はメーデー)、滞在期間は残り3カ月。まあ別に残り4カ月でも2カ月でも大して違わないが、3という数字が何となく残り少なさを際立たせる。但し実際の授業開始はやっぱり来週なので、大学生活についてはまだ書くことがない。

 アルバニアのこと。と言ってもいろいろ面白い出来事があったので、ここでは印象に残ったことだけ。  空港に着くと友人の迎えが見当たらず、タクシーに乗ってその友人の職場へ行ってみたら、見事に行き違いだった。アルバニアではいつも思いがけないことが起こる。

 今回は単独行動の時間が多く、散歩しながらハンバーガーを食ったり、アルバニア人に混じって露店で新聞を買ったり、通行人から「中国人!」と呼ばれる度に「日本人!」と返してみたり(日本で『ガイジン』とか、アメリカ人でもないのに『ハローハロー』と呼ばれる不愉快さが分かる。他人を、その人がそうであると思っていないもの呼ばわりしてはいけないのだ)、かと思うと上着の外ポケットに残していた50レク紙幣を子供にすられていたり(1レク≒1円)、私の最も好きなパターンの旅をすることができた。案内してくれる人の都合で地方へは一日しか行けなかったが、ティラナから北方に30kmの山岳都市クルヤへ車で登り(アルバニアは山国)、歴史博物館を訪ね、景色の素晴らしいレストランで食事をした。給仕に、今度日本人が来た時の為に英和辞典が欲しいと頼まれる。

 今回は、前回の様に死ぬかと思う程喰わされる目には遭わなかったので、料理の名前を聞く余裕もあった。羊肉入りのピラフ、挽き肉と香草・香辛料を合わせてハンバーグ風に焼いたキョフテ、皿に盛られたオリーブの実。これらはバルカン半島共通の一品。大抵の料理に新鮮なパンと白チーズとヨーグルトが付く。特にチーズは固くてもろく、塩味がやや強い程度で全体的に素朴な味わいだが、簡素な食生活に慣れている舌には充分美味い。日本の乳製品では、これは絶対に味わえない。デザートには、小麦粉と卵をこねて甘く煮たカチャマク、プディング風のキュメシュトル(牛乳のことをキュメシュトと言う)にアルバニア産のお茶、食前酒にはラキという強烈な蒸留酒かアルバニア産ワイン。素晴らしい。

 宿泊先は友人の親戚宅。外国人旅行者向けに改装した一室を充てがわれたが、2階で眺めの良い広々とした部屋にシャワー・トイレ付、更に朝食付で、一晩たったの10ドル!宿泊料というより「ほんのお礼」という感じだ。勿論、アルバニア人にとっての10ドルは、日本人にとっての1万円ぐらいの価値があるのだが。

 フランクフルトで会った書店主には、自宅に何度も招かれ、言語学雑誌の最新号や、店頭では入手不可能な古本をたくさん譲り受けた。この友人(といっても私とは親子並みの年齢差だが)の紹介で著名な学者や作家にも会ったが、一番驚いたのは、例の大作家イスマイル・カダレに本屋で偶然会ったことだ。ミーハーなことに一緒に写真まで撮らせて貰った。もう一人の大作家ドリテロ・アゴリにも会わせてやろうと言われたが、こちらは結局実現しなかった。

 別の友人宅でも食事を御馳走になったが、私が突然訪ねても快く居間に通し、飴やトルココーヒーでもてなすアルバニア人の性格には毎回感心させられる(余談だが、この家庭の子供もイタリアのテレビで『セーラームーン』や『ルパン三世』を見ていた。『銭形のとっつぁーん』の吹き替えが『ヘーイ、ザザ(?!)』だったのには大笑い)。私はこうした人脈のおかげで安くて快適な滞在が可能だが、アルバニア語を知らない単なる外国人観光客にはまだまだ大変な点もあろう。最大の問題は、空港と市中心部を結ぶ公的交通手段が高価なタクシーしかないことだ。とは言え、出入国手続きは随分簡単になった(備え付けのカードに記入して提出するだけ)と思う。

 アルバニアの町並は昔からほとんど変わっていない。北部の町クルヤは、オスマン朝時代に山の斜面を利用して造られた城塞都市がそのまま発展したものだ。南部では、ローマ時代からの石造りの町並が現在も人々の生活空間として機能している。比較的新しい首都ティラナでも、近代的な集合住宅の裏に廻れば、堅牢な石壁に囲まれた戦前からの伝統的住宅地(但し屋根には衛星アンテナ)がひしめき、大通りを外国車と馬車が並んで走っている。人によっては戦前・終戦直後の日本を連想するだろう。

 労働党による半世紀近い社会主義政策は(北朝鮮的な自給自足体制では限界があったものの)アルバニア国内の近代化を急激に推し進めたが、それでも古くからの生活様式・生活観を完全に改造することはできなかった。「党」が決めた歴史評価の枠組みが崩壊し、古くからのものと新しいものとの間に今後どう折り合いをつけていくかが改めて問題になっているのかも知れない。アルバニアについて書かれたものにしばしば「伝統と近代」という表現が用いられるが、言い得て妙だ。私は、バルカン半島特有の伝統的様式の中に、アルバニアの将来を考えるヒントがあると考えている。

 行き帰りはハンガリー航空を利用したので、当然機内放送はハンガリー語(と英語とドイツ語)、機内の説明文もハンガリー語、離陸前にはハンガリー語の新聞も配られ、乗り換え地のブダペシュト空港もハンガリー語だらけ。新聞を貰い目を通してみたが、ハンガリー語はインド・ヨーロッパ語ではないから、語順も単語の意味も全く類推できない。良い機会なのでスチュワーデスにハンガリー語を試してみようと思い、ブダペシュト空港の土産店の店員に英語/ドイツ語の文を見せ、ハンガリー語の綴りと発音を教えて貰う(実際に使ったのは『こんにちは』『さようなら』『水を下さい』『ありがとう』位だが)。ヨーロッパの航空会社を利用するとこういう楽しみ(?)があるので、今度はブルガリアのバルカン航空辺りに乗ってみたい。


  ミュンヘン 1996年5月22日

 春のヨーロッパは夜9時近くになってもまだ日が沈みきらない。

 現在、郵便労働者がストライキ中。日本では5月の初めが連休だったのに、すっかり実感が湧かなくなっている。ドイツ国内を旅行する余裕は(時間的にも金銭的にも)もう全然なさそうだ。

 最近、新聞の片隅で「熊殺し事件の謎」がちょっとした話題になった。といっても本物の熊ではなく、ミシガンの小学校から世界一周の旅に出ていた「プーさん」の縫いぐるみが、フランクフルト空港税関で麻薬隠匿の疑いからはらわた(文字通り!)を引っ張り出され「惨殺」された、というのがことの次第。ところが不思議なことに、この殺熊犯人の税関職員が誰だったのかその後の調べでもはっきりしない。しかも何時の間にか「遺体」はおろか、絵葉書やおみやげの入った「遺留品」のリュックまで行方が分からなくなり、空港当局から子供達へは全然別の熊ちゃんが送り返される始末。更に不可解なのは、X線検査機や麻薬犬を備えている国際空港で、何故わざわざぬいぐるみを切り裂く必要があったのか?という点。謎は深まり、子供達はがっかりしている。

 こういう事件はまだ呑気な方だが、先週ドイツの原発の使用済み核燃料がフランスの再処理施設からドイツ中部の貯蔵施設へ鉄道輸送された時は、輸送に反対する市民6000人と「史上空前」 20000人の警官+国境警備隊(日本の機動隊みたいなもの)が衝突し、双方合わせて30人以上が重軽傷を負った。

 新聞に載った日本の話題について。ドイツの新聞の最終面には、政治・経済・国際等通常の分類に入らないちょっとした、しかし興味深い出来事を伝える「雑報」面がある。日本で言う三面記事だが、今月最初の週末には「世界で最も豊かな国の一つ」の東京で年金暮らし(月額 220マルク)の母子が餓死したことが報じられた。その翌週には「夕張メロンの初物27万円」、そして昨日は「日本の教師スカートをはく」!何じゃこりゃとよく読んでみたら、女子の制服にスカートが義務付けられていることに疑問を感じた教師13名が「生徒と連帯して」スカートを着用し「冬は寒くて心地良くない」ことを実体験したという内容。日本の学校では制服がしばしば悲[喜]劇的な問題を引き起こすが、制服がないドイツでは、他所の国の面白話でしかない。

 さて私はと言えば、2日から夏学期…のつもりで大学に行ってみたら、一般言語学及びインドゲルマン語学の授業開始は7日以降だそうでほとんど人がおらず、その7日に行われた授業時間の打ち合わせで時間割が決定。文献収集と帰国準備の時間を多くとる為、受講内容をバルカン諸語関連に絞った。ただし9日は教授が出張で不在、16日は復活祭から40日目でキリスト昇天の祝日、というわけで木曜日の授業がまだ始まらない。

 今回は幾つかの授業が他の授業時間に重なり、教室がないので取り敢えず言語学研究室の一角に集まり、教授の話を聴くという経験もした。

 論文に必要なアルバニア語の文献は今月中にほぼ揃う見込み。ただしアルバニア語の研究を進める為には、地理的に密接な関係にあるブルガリア語、マケドニア語(ブルガリア語に近い南スラヴ語)、ルーマニア語の文献を可能な限り集めなければならない。残り2カ月と10日間も引き続き研究室や図書館を廻り続けるだろう。時には電車に乗って他の研究所へも出向く。コピーした文献を箱詰めして郵送する労力+経費も相当なもので、学者は体力勝負?とわけの判らないことを考えながら過ごす。広島に戻って何から最初に手をつけるか、もぼちぼち本格的に気になり始めた。

 冬学期のルーマニア語の授業に70代の男性が出席していた(ドイツの大学で年長者と20歳前後の学生が同じ教室にいるのは全然珍しくない)。非常に真面目な人で、私も含めた若い学生より熱心に勉強し、最終日にはルーマニア語の作文を持って来て朗読し、講師に感謝されていた。歳をとると記憶力が低下することは事実だが、具体的な目標を決めて(良い例;論文を読まなければならない、旅行先で会話したい、外国語が出来ることを特定の人物に自慢したい、外国人の彼・彼女ができた・またはできそう、等。悪い例;『La Boum』の Sophie Marceauに憧れてNHKフランス語講座を聴き始めた中学校の同級生。本人に会えるあてもないのに長続きするわけがなく、すぐに挫折←実話)定期的に学習し、聴いたり話したりする時間を出来るだけたくさんとれば、年齢に関係なく必要に応じて外国語は身に付くのだ。


                         ミュンヘン 1996年6月2日

 ふとティラナの朝を思い出す。泊まり先の家を出て通りを歩いていると、木造りの台に届いたばかりの新聞を並べて重石を乗せただけの露店があちこちに出ている。そこでアルバニア人達に混じってひとしきり紙面を物色し、面白そうなものを2〜3紙選んで、売り手にレク紙幣を手渡す(1部15〜30レク。紙幣は普通5レクから)と、刷りたての真新しい新聞を小脇に抱えて更に朝の散歩を続け、落ち着ける所でゆっくり読む。何にせよ、そこでしか手に入らないものを、そこに住む人と同じ様に手に入れるのが旅の醍醐味だ。

 先週日曜日は復活祭から50日目で聖霊降臨節にあたり、翌日共に連休。高校生の頃よく訪れた教会ではユダヤ教式に「ペンテコステ」と呼んでいた。この日イエスの弟子達が集まっていると天から火の様なものが彼らの頭の上に宿り、全員が様々な言語で語り始めた、という逸話がある(以上、取り敢えず由来の説明)。  今度の木曜日も復活祭から60日目で聖体の祝日。これでキリスト教関連の祝日はひとまず終わり、10月3日のドイツ統一記念日まで連邦規模の祝日はない(バイエルンでは8月15日のマリア昇天日も祝日。プロテスタントの多い州では別に祝日がもう2つ)。戦後の日本では皇室関連の祝日が悉く改名されたが、ドイツの場合は統一記念日とメーデーを除けば全部キリスト教の伝統に則った祝日である。

 その日曜日、アルバニアでは1992年以来の人民議会選挙。ドイツ国内の報道、及びティラナから傍受した放送、及び新聞によれば、与党の民主党が予想を上回る3分の2の得票率で社会党(旧労働党)に圧勝。しかし有力候補者の登録を取り消された野党は選挙の無効を主張、全欧安保の選挙監視団は票操作の疑いを指摘し、首都ティラナでは小競り合いが発生。

 アルバニアがそんな具合なので、ドイツ国内の出来事にはここ1週間ばかり関心が湧かず。最近、朝の番組でドイツの学校問題を特集していた。

 小学生(15歳まで)の半数が学校の授業にストレスを感じ、10人に1人が頭痛に悩み、3人に1人が医薬品を常用しているという。学校の授業についていけず「もう一つの学校」に通う生徒も増えている。日本の現状と比較して興味深い。ドイツでも万事が理想通りとは言えない。生徒間の暴力沙汰でも、大半の生徒は見て見ぬ振りらしい。「いじめ」をめぐる議論では、何処までが人間集団特有の普遍的な現象で、何処からが日本社会特有の問題なのか区別する必要があるのかも知れないが、ドイツにおいて唯一賢明なのは、ほとんどの問題が学校の枠内や教師個人の力量では解決しきれないという認識に立って、学校外に多くの救援態勢を整えているという点か。

 連休の月曜日に福岡の両親が「阪急とっておきプラン ヨーロッパゴールデンルート10日間の旅」に参加してミュンヘンに来た。かの有名なホフブロイハウスで食事。ど派手な店内の雰囲気と外国人観光客だらけの喧噪に、私は全然馴染めない。父は、前々日にロンドンで食べたローストチキンが不味かったとか、ミュンヘンのフランクフルトソーセージが食べたい(何だって???)とか、還暦間近とは思えない喰い道楽ぶり。ヨーロッパの老人を見習って「上品に」禿げたい、とも発言。

 サッカーワールドカップ開催地の発表が昨日の夜(日本時間)に予定されていたらしいが、当日の午前7時頃(日本では午後2時頃)、新聞を広げてみたら、とっくに「日本と韓国」と載っていた。実家の留守を預かっている妹に電話したところ、日本のTVでは一日中特番を組んで発表に臨んでいたという。先手を打たれちゃってどうなったのか?

 ところでその妹に「日本の『いま』を伝える雑誌」を幾つか頼んであったので、両親に持って来て貰う。大体の指定はしていたが、ツボを押さえた品揃えだ;週刊朝日」5/31「TVガイド」5/31「ザ・テレビジョン」5/31「non-no」6月号「CanCam」7月号「アニメージュ」6月号「アニメディア」6月号 「歌がうたえる♪ウルトラマンえほん」(ポプラ社)

 傑作は、妹が夜遅く婚約者に買って来させた「ウルトラマンえほん」。ページの下にある怪獣やウルトラ兄弟の顔を押すと鳴き声やテーマ曲が電子音で流れる…20年前では絶対手に入らなかった…優れ物。これらを他の雑誌と一緒に寮の同階の住人達に披露したところ、日本にはこんな娯楽もあるのかと面白がっていた。ウルトラマンをスタートレックと比較して説明したが、おかしくはなかったと思う。

 部屋に戻って、新番組・新譜紹介や新刊の書評を読んだり、「non-no」の男性スター人気投票、「CanCam」のNYお買い物情報や夏服特集を(何の役にも立たないのに)眺めたり、その他、岩井俊二監督の未公開映画が上映されるとか、SMAPが1人減ったとか、「Sense and Sensibility 」の邦題が「いつか晴れた日に」(何でだろう?)だとか、「キャナルシティ博多」という大型アミューズメントパークが出来たとか(←『ザ・テレビジョン』福岡版の記事)、「ブラック・ジャック」の劇場版とか、「エヴァンゲリオン」というとんでもない番組があるらしいという話題とか、人がちょっと留守にしている間にいろいろ世間は…と思う。

 連休前後の夜はテレビで映画ばかり見る。取り敢えず並べてみる。「薔薇の名前」(初めて見た。地下室の場面は噂通り圧巻)「氷の微笑」「ポリス・アカデミー」シリーズ(5週連続!全部見た奴いるの?)「シスター・アクト」(ウーピー・ゴールドバーグ主演)「祖国」(戦『勝』国ドイツを舞台にした同名小説の映画化)「ブルー・ヴェルヴェット」(デニス・ホッパーもカイル・マクラクランも、全然尋常じゃない。怪演)「ロジャー・ラビット」「ホットショット」「セックスと嘘とビデオテープ」等。それから、原題「Sleepless in Seattle」で、トム・ハンクスとメグ・ライアンがエンパイアステイトビルで出逢うという…よく考えるとそれだけの…映画。これは邦題が「めぐり逢えたら」だっただろうか?

 イザベル・アジャーニ&シャロン・ストーン出演「悪魔の様な女」がドイツで上映されるので、まだ映画館に行ったことがない(『トイ・ストーリー』と『いつか晴れた日に』は見たいが、日本でも見ることはできるだろう)ことでもあるし、見に行こうかと思ったが、巷では「イザベル最低作」という評があっていまいち気が乗らない。ところで愛しのイザベルは先週深夜「ドライバー」にも出演していたが、20年前の映画なのにもう現在の顔が出来上がっていた。つくづく凄い女優だ。

 前評判上々なのは、パトリック・ステュアート(世界的には『スタートレック2』の艦長として有名)がゲイの中年を好演している「Jeffrey!」。しかしよく考えてみると、日本でも映画館へ見に行くのはよほど気に入った映画だけなので、外国だからといって無理に映画館へいくこともないのだろう。

 6月に入っていよいよ時間の経過が早く感じられる。今月はロータリー財団の大きな会合に出席予定。アルバニア語の教授にまとまった相談を余りしていないので、学位論文の構成についてもう少し話すつもり。


                         ミュンヘン 1996年6月16日

 先月の終わり頃から、晴れた日に綿帽子状の物体が舞い出した。「ケセランパサラン?」(←ちょっと昔に流行った妙なもの)と思って手に取ると、綿の塊の中に植物の種が包まれていた。

 ドイツ滞在中最後の祝日(6日)はそんな綿が街中に舞い散る好天日。陽当たりの良い部屋で朝から新聞(アルバニアから選挙期間前後の主要紙を送って貰った)を整理し、広島に送る荷物の分量を調べる。

 この日の番組表に「ゴジラ対巨大昆虫(1971)」とあったので、そんなのあったかなと見てみたら「ゴジラ対ガイガン」だった。昆虫怪獣なんか出てないのだが…

 先週よりイギリスでヨーロッパカップ(勿論サッカーのこと)開幕。9日のドイツ×チェコ戦の時は、シュートが入る度に近所からただならぬ歓声が上がり、どんちゃん騒ぎ。もっとも、日本の野球中継の様に何処の放送局もサッカー一色になるというわけではなく、公営2局が交代で試合を中継している時間帯に、民放は「エイリアン3」「ファーム」「マネキン」「オイディプス」(ドイツで8年前…私が初めてここに来た時…に大ヒットした国産コメディ)など娯楽色の強い映画をぶつけて勝負している。役割分担がよくできていると思う。

 昨日ロータリー財団のミュンヘン地区総会に奨学生として出席。会員の発表を座って聞く以外にこれといってすることもなし。ミュンヘン空港内のホテルで総額 140マルク以上の豪華なランチ&シャンパン&ディナーをほとんどただでいただく。「ほとんど」というのは、夕食前にただのつもりで注文したPino Griggioのワインが、実はちゃっかり別料金だったから。

 例のごとく出先で食が細いので、昼食のヴァイキングをどうにか切り抜けたものの、夕食の前菜(鮭のサラダ)の時点でもう「この度はまことに結構なものを」という気分になり、主菜(仔牛肉のステーキとアスパラのソテー)で「た、助けてくれ」、デザート(アイスクリームとケーキ)が来る頃には「×××(げっぷをこらえている)」だった。

 休憩時間には「東ドイツ」出身の学生と、日本の教育と企業の体質と経済の関係、「何故ドイツに来る日本人留学生のほとんどは女性なのか」という話題で意見を交換したり、アメリカ人留学生と「お人好しな一家」のアル・バンディに関する話をしたりした。なおこの番組の主題歌はフランク・シナトラの「Love and Marrige」。何と贅沢な。

 ドイツのメディアには、住友で18億ドルにのぼる銅関連の損失が明るみに出て銅の市場価値が下落している件、太田沖縄県知事の再選、従軍慰安婦への国家補償に反対する議員連盟の結成、福岡空港でガルーダ航空機が墜落した映像などが入っている。

 ブルガリアの経済事情が逼迫している。最近国営銀行が閉鎖され、再建策も不調に終わり、混乱に拍車がかかっている。1989年以来、新しい特権階級が特定組織と癒着して利権を独占する構造はブルガリアだけでなく旧「東欧」に多かれ少なかれ見られるが、マフィア以上に政局の不安定さが問題だ。既に数回にわたって首相不信任案が出され、その度に僅差で否決されている。同じバルカン半島でもアルバニアに直接影響することはない(セルビアやギリシャの情勢変化は直接波及し得る)が、余りいいことではない。ちなみに隣のルーマニアでは2日に市町村選挙。首都ブクレシュティ(ブカレスト)では今日の決選投票で与党が推す元テニス選手と野党候補の一騎討ち。ところでブルガリアと言えば、ヴェラはクリスティアンと別れたらしい。遠距離恋愛に疲れた、と本人は語っている。

 そして今夜、ロシア大統領選挙の特番。予想通り2大候補の競り合い。ジュガーノフ[の周囲の共産党強硬派]に対する「危機バネ」が働いているのか、イェリツィン(エリツィン)が以前先頭に立っている。現時点で予想外なのは、軍出身のレベヂ候補がヤブリンスキーやジリノフスキーの得票を上回って3位に来た点だろう。


                         ミュンヘン 1996年6月30日

 明日から7月なのに雨続きで、部屋の暖房が再び機能し始める程気温が低下。スーツケースに仕舞うはずのジャンパーをまだ着ている。

 留学終了を1カ月後に控え、私の部屋は小包だらけ。郵送料金で奨学金はきっちり1円…いや1プフェニヒ残らずなくなるだろう。ドイツで買った新聞・雑誌はできるだけ日本に送るが、日本の雑誌(特にnon-noとCanCam)は日本語学の研究室へ持って行くつもり。TVとラジオを売る為のポスターも作成。

 今日は日曜日にも関わらず珍しく外出し、ノイエ・ピナコテークを初めて訪れた。特設展示はWilli Baumeisterの木炭画で、改修中のアルテ・ピナコテークからも作品が入っている。取り敢えずぐるりと見て回った程度だが、日曜日は無料なので、また見に行くかも知れない。

 国内;ドイツ連邦議会が中国のティベット政策を非難する決議を出した為、外相の中国訪問が取り消され、ドイツの政治家達は狼狽している(何故そこまであたふたするのかよく分からないが)。疾病時の賃金支給削減や年金支給年齢の引き上げ等を盛り込んだ通称「[国庫]倹約[に関する]一括案」が連邦議会を通過。政府は従来の「福祉国家」型社会保障を徐々に改めようとしている(といって日本が真似すべきだとは思わない)。

 閉店法が改正され、商店は平日午後8時、土曜日午後4時まで営業できる見込み。日曜日にパンを焼いて売ることも[3時間だけ]認められることになる。ところで私は誤解していたのだが、営業時間延長に反対しているのは[キリスト教]保守系の政治家よりもむしろ社会民主党や労働組合の方で、彼らは要するに労働条件の悪化(雇用面で保障のないパート労働の増加)を警戒している様だ。

 高校野球中継の騒動から逃れたと思っていたのも束の間、数日おきで「ドイツ×○○○」が放送される度に寮内は大騒ぎだ。そんな日は早めに夕食を作り、部屋に避難している。

 国外;ギリシアでパパンドレウ元首相が死亡し、駅へギリシアの新聞を買いに行ったら、主要紙は入荷早々売り切れ。ギリシア社会主義運動の象徴の後継者をめぐり与党(全ギリシア社会主義運動)はもめている。トルコではイスラム・保守連立政権が発足。アルバニアの大統領が全欧安保による総選挙やり直しの要求を拒否し続けており、新しい議会は野党のいないままで招集される見込み。今日はモスタル市の選挙、今度の水曜日はロシア大統領選挙の決選投票。

 日本;「住友」続報、池田大作をめぐる訴訟、そして「消費税5%」最終合意。この間接税を百歩譲って認めるとしても、今度こそ書籍を外税扱いにしなければ7年前と同じことが起こるだろう(定価の表示されたカバーを取り替えたり、新価格のシールを貼る等の措置が取られたが、一方で当時、経費面で余裕のない中小出版社が多量の在庫を裁断・絶版にしたという、本好きには耐え難い出来事があった)。

 テレビ;以前紹介したアメリカ製SFの大半はひとまず終了。「X−Files」等は日本と同じく、秋から続編が放送開始。一方、半年前から盛んに番宣で予告されていた「スタートレック」最新シリーズ 「Voyager」は、初回いきなり2時間枠で華々しく登場。シリーズ30年目にして初の女性艦長が最大の「売り」だが、他にも新キャラクターが多数登場して見応えがある。映画は良いものが最近見当たらないが、「Real Love」(原題が『Untamed Heart』なのに、何故ビートルズの曲名なのだろう?)という作品は印象に残った。孤独で内気な青年(クリスチャン・スレイター)が同じレストランで働く女性(マリサ・トマイ)に恋をするという、文章にすると全然どうってことないが、なかなか雰囲気の良い話。彼の行動は一つ間違えると変質者なのだが、そこは映画なので、そう感じさせない様になっている。

 必要な文献は全部集めた。といっても個々の言語に関するものがほとんどで、学位論文の為には一般的な理論に関する論文も必要だが、これは日本でも充分手に入るだろう。あとは、論文の入った小包が無事広島に着くことを願うのみ。残りの1カ月間は授業(特に語学)に専念するつもりだ。


                         ミュンヘン 1996年8月1日

 慌ただしく、この1カ月の動き。

 7月2日から4日まで、大学評議会選挙の投票。学生の一人として、当然投票に参加、日本では考えられない「68年」の遺産を実感した。学生の議席は左派系の全国学生連合が「万年与党」の座を占めているが、エコロジー保守系、アナキスト系も徐々に力をつけているらしい。学費徴収や奨学金削減等に反対という点では、どの党派も(時には、上部組織である各政党の思惑に叛旗を翻して)一致している。となると、全学連が与党を維持できるのは…国政で保守系が多数派を占め続けるのと同様…或る種の惰性なのか。

 実家に頼んでいた日本の時刻表が到着、広島まで最も安くあげる旅程について検討。高速バスの乗車券予約を日本に依頼。多忙を極め、お金も残り少なく、結局アルバニアへの再訪問は絶望的となった。約束していた友人にお詫びの手紙を出す。

 先々週木曜日、JALで8月1日着・伊丹行きに変更された航空券を受け取る。翌日、銀行と郵便局の各口座を解約(『当行に何か御不満でも?』と尋ねられたのには参った)。新聞も7月いっぱいで購読終了。「non-no」「CanCam」「ザ・テレビジョン」他を日本語学研究室の談話室に寄贈(単に『興味のある方はお持ち帰り下さい』とドイツ語のメモを付けて放置してきただけ)。

 翌日の土曜日、アルバニア人学生(妻はドイツ人)宅にて、アルバニア語に縁のある人々と屋外グリルパーティー。羊を丸焼きにして、ひたすら喰いまくる。昼間は暑かったのだが、日が沈んだ途端とんでもない寒さに。石炭を焚きまくり、大半が屋内へ避難。一足先にコソヴォへ帰省する人達とは、ここで別れの挨拶。

 翌日の日曜日、夜「ジョーズ」を見ていると、ポーランド人の学生がテレビ売買の件で来訪。ロイ・シャイダーの妻とホオジロザメの格闘を横目に、多少「勉強」して 200マルクで交渉成立。

 翌日の月曜日、広島女子大に通うYMCAの元生徒から日本のヒット曲のテープが到着。DCTの七夕っぽい曲が最高だが、アイカワナナセもなかなか良い。もう一つ注目したのはスピッツの『チェリー』だが、何故だか途中で音が切れているので、気になって仕方がない。これをBGMに、木曜夜、寮の北棟7階にて(かねてから密かに計画していた)宴会を挙行。調理人は私、メニューは次の通り;  羊肉入りのピラフ  キョフテ(合挽肉に香辛料とにんにくを混ぜて焼いたもの)  バルカン風白チーズ  ヨーグルト  種付きオリーヴの実  レタスのサラダ  ギリシア産赤ワイン(イミグリコ)と白ワイン(レツィナ)  マケドニア産ロゼワイン

 多分にバルカン半島を意識したこの品揃えは、海外で作る中途半端な日本料理より賢明だったと思う。種付きオリーヴの実というのは、日本でよく見かける、緑に赤の「ぽっちり」がある種無しオリーヴとは全く別もの。黒くて、味にはくせがあるが、慣れると結構美味しく、ワインにも好適で、アルバニアでは食事の席にどっさりと出る。

 一昨日の昼休み、ロータリークラブの担当者と食事、一年を振り返る。無事に別れを告げたのは良かったが、氏と1枚も一緒に写真を撮っていないことに、あとで気付く。やれやれ。夕方、ブルガリア語のクラスで一日早い打ち上げ。

 昨日、授業は全て終了。ブルガリア語とルーマニア語のクラスにお別れの挨拶。18時半の閉店前に図書館前の書店で Janoschの「Tigerente とらがも(とらあひる?)」を購入。夜半(といっても空は全然明るい)からイギリス庭園のビアガーデンで一般言語学・インドゲルマン語学研究室の打ち上げ。或るアルバニア人学生の夫だという中国人が鶏を喰っていたので、中国語でお話し。アジア人2人による高低アクセント言語のやりとりで、周囲に感銘(?)を与える。中座してアルバニア語の教授と他の学生達に別れを告げ、やや後ろ髪をひかれながら慌ただしく帰宅。また夕食をご馳走しようと思いながら寮へ戻ったら、とっくに済ませており、皆で外出しようという。些か腹が立ち(←理不尽)、お断りして部屋で荷物をまとめる。ラジオとテレビと電熱湯沸かし器を件のポーランド人に売却。

 深夜、一同帰宅。あっさり仲直りしてワインを飲みまくる。私とデイヴィドは餞別を貰う。

 明けて本日早朝、二日酔いと闘いながら最後の部屋掃除。寮の管理人氏は徹底的に綺麗にすることを要求するので、結局昼まで悪戦苦闘。しかもその間に最後の小包を近所の郵便局へ持っていったりした(しかも重過ぎて規定重量を超過し、その場で2つに小分けし直して発送するというオチ。あの馴染みの郵便局員には、本当に最後まで面倒をかけた)ので、出発直前の正午頃には既にくたびれ果てていた。

 身仕度を整えてみると、デイヴィドは早くも朝7時過ぎにアメリカへ出発。アンドレアスはバイト、オーストリア人のヴォルフガングは前日より既に帰省、転居したゲロルトのあとに入った学生も数日前から不在、フランツはマリイと帰省の準備、もう一人のヴォルフガングは発熱でダウン。で、この人達とは玄関でお別れ(ついでに、よく見かける掃除のおじさんにもご挨拶)。駅への見送り役は、ヴェラと、折しも私の部屋へやって来た新しい住人(普通のドイツ人)だけとなった。

 ミュンヘン中央駅に到着したのは、フランクフルト行き列車が発車する15分前だった。最後まで慌ただしかったが、ヴェラに別れの挨拶はきちんとしておいた。列車の座席に落ち着くと、一気に疲れがやって来た。駅で買った新聞に目を通す他は窓の外を眺め続けた。午後5時過ぎ、フランクフルト国際空港の待合室に到着した時の私ときたら、そんなわけですっかり腑抜けていた。

 考えてみると、11カ月前にフランクフルトに到着した時も、私は疲れ果てていた。あの時は、ほとんど誰にも出発を知らせずに外国生活を始める身の孤独に押さえ込まれていたからだ、と思う。では今の、この感覚は何だろう?

 気分転換に、書店でドイツマルクを使い切る。

 夜7時過ぎ、ようやく搭乗開始。久しぶりに日本人だらけの中へ。機内に入り、周囲を整理して着席。隣が空席だったので、ようやく愉快な気分になる(『やった、独り占めだ!』)。先ずは日本の音楽をと、いそいそとヘッドホンを着用。すると聞こえてきたのは「はじめてのチュウ」(byあんしんパパ)…まあ、これはこれでよしとして、チャンネルを変える。なになに、古内東子「誰より好きなのに」…何だかしばらく留守にしている間にいろいろ新曲が出ている。広島に帰ったらCDが買いたい、と思う。

 20時50分、出発。機内のテレビに水曜日のNHKニュースが流れ出す。O-157ってそんなに大変な騒ぎになっていたのか、と認識する(一応ドイツでも新聞には載っていたが、いつもの夏のことだろうと思っていた)。ところで有森って誰?

 朝から(正確には前の晩から)何も食べていないので、機内食がとても美味い。あとは、金曜日の午後3時に成田到着、乗り換えて8時過ぎに伊丹に着き、大阪市内から高速バスで広島へ帰るだけだ…って、結構乗り継ぎが多いなあ。福岡空港行きにした方が良かったのかも知れない。

 深夜(日本はとっくに朝だろう)機内で映画が始まった。「Bed of Roses」…「バラのベッド」か…おや、主演は 「Untamed Heart」のクリスティアン・スレイターだと気付き、最後まで見る。ストーリーには「無理矢理」なところもあるが、よくできた恋物語である。それにしても、だ。レストランでコーンフレイク喰いながら初対面同然の女を口説く男なんて、現実にいるわけがない。

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