ご支援いただきました皆々様 (片山事務局長より 1999年12月4日付)

謹啓
  本日、金沢でのネジールの受け入れは終了致しました。
  無事全日空機で小松空港を後にしました。
  正直申しまして、今は心に空洞ができた心境です。
  小生にとり、彼らは本当に忘れ得ぬ存在になりました。
  不便な異国の食生活を無理強いさせた事ですまない気持ちもあります。

  数々のご支援並びにご声援誠にありがとうございました。
  取り急ぎメイルにてお礼申し上げます。
  今後も彼らの祖国への支援計画は続きます。
  より一層のご協力賜りたく勝手ながら、此処にお願いさせて頂きます。
  本当にありがとうございました。
  尚、彼らの8日朝までの滞在先は代々木のオリンピック記念国際青少年総合センターです。在京の方々で御時間があれば会いに行ってあげて下さい。尚金沢から堀氏同行しています。
  本当にありがとうございました。
  時節柄より一層御自愛下さいますようお祈り申し上げます。

追伸
  テレビの全国枠で12月7日、8日の両日放送予定があります。
  随時ご案内さしあげます。


ネジール・シニック一家 離日までのスケジュール

冠省
  日頃は格別のご配慮賜り厚く御礼申し上げます。
  さて、今週の12月4日にネジールの家族一行金沢を離れますが12月8日迄のスケジュールをご報告させていただきます。
  今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

不一

12月4日   午前9時半片山宅出発 小松空港へANA756便 堀のみ同行
    自宅前で金大の看護婦さん達他とお別れ
    片山の車で小松空港へ羽田到着後
    日本アルバニア協会メンバー他在京支援者と懇親会(予定)
    都内宿舎 代々木オリンピック記念国際青少年総合センター

12月5日   休日片山上京(日帰り)

12月6日   午前9時東京入管で手続き後関係機関挨拶回り(外務省 他)
    在京オーストリア国大使館にて同国通過査証取得申請
    午後2時外務省東欧課挨拶
    午後3時から日本アルバニア友好議員連盟会合にシニック家族出席後
    記者会見 衆議院第1議員会館第4会議室にて(予定)

12月7日   フリー (夕刻予定あるかも知れません)

12月8日   午前7時半都内出発 成田空港へ 帰国の途につく


(片山事務局長より 1999年12月9日付)


  アブですが、現地到着後報道機関に何か話す可能性もありますのでkosovapress等、暫く注視して下さいませ。
  昨日遅くレーザー機器の機種が決定しました。当初の波長532nmタイプで す。
  依って設置とメンテナンスの必要性が出てきました。細部はもう少し詰めます。 しかし532は今、緊急を要する糖尿病網膜症の失明の危機にある患者に有効で す。糖尿は現地で20万人以上です。
  尚、NIDEK社はトルコに代理店は無く、ブルガリアだそうです。


【付記】

ネジールくん顛末記
上原貴博

 6月初めの或る朝、病棟医長の市原先生がぶっきらぼうな調子で「おい上原、retinoblastoma がくるぞ」。どうせ主治医になるんだろうと、平静を装って「どこからです?」。当然病院名を期待して聞いたところ、返事は「コソボから」。「@どこですかそれ???」。
 疑問は続く、「Aなぜ金沢に?」、「B状態は?」、「C英語は通じるか?」、「D支払いはどうなる?」などなど。以下その答え、

 @図省略
 Aなぜか金沢に、日本アルバニア友好協会の事務局があるため。
 B右眼摘出後状態、静脈浸潤あり。左眼に径約10ミリ・高さ3ミリの腫瘍。
 C英語は通じず、ただし父はアルバニア語・トルコ語、母はアルバニア語・ブルガリア語を話す。
 Dある程度の基金があるので当面は大丈夫、あとは「募金」で。・・・思わず頭を抱えました。

 7月7日夜9時過ぎ、小松空港から救急車で到着。報道陣があまりに多く、救急部の柴田先生と顔を見合わせました。引き続いて記者会見、30時間超の長旅でネジール君すっかり疲れ果てた様子。まあ、Dのためと思えば仕方ないかと半ば諦めましたが、ちょっとかわいそうでした。Cに関しては、第一外科にトルコからの留学生がいたため(奇跡!)【父のトルコ語→ムラット・カラ氏の英語→私の英語】というアクロバティックなコミュニケーションと相成りました。検査結果・治療方針また副作用の説明など、彼がいなければどうなっていたか・・・いくら通訳がいても、医学的なニュアンスを伝えるのは難しかったと思います。Bに関しては化学療法が無効で、眼科のレーザー治療が著効したのはご承知の通り。また、国立ガンセンターに依頼したRB遺伝子の解析では異常が見つかりませんでした。検索した範囲で転移はないと思われましたが、今となってはただ祈るのみです。
 病棟でのネジール君の生活は予想よりスムーズで、その立て役者は広瀬婦長をはじめ優秀かつ熱心な看護スタッフのみなさんと「入院中の子供たち並びにそのお母さん」。特にA.M.ちゃん、S.T.君、R.I.君、Y.N.君とは仲がよく、お母さん方もアルバニア語の勉強をしたり、手料理を分け合ったりして本当に楽しそうでした。入院生活の後半は、生き生きと廊下を走り回り(その結果青あざ多数)病院のスタッフの人気者となりました。ひとつ残念だったのは、まだ家族も落ち着かない内に「きゃーほんとだー、かわいいー」と病室に闖入した不届きものがいたことで、以降病室の名札は「市原 強」(魔よけの効果ありか?)と変りました。
 11月17日、4ケ月にわたる治療で左眼の腫瘍はほぼ消失し、母国での経過観察としてネジール君は帰国の途につきました。聞くところによると、コソボは政情不安定で医療体制も不十分、また撤去されない地雷による事故も多く子供たちへの安全教育が必要だとか。走り回って青あざを作るくらいならいいが・・・といらぬ心配をしています。最後になりましたが、研修3ケ月目にして「非常に珍しい症例」にあたった主治医の渡辺先生、あとを引き継いだ長沖先生ご苦労様でした。

「金沢大学小児科年報 1999/2000」より無断・・転載】

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