Nezir Shinikは生きている

[金沢大病院に入院しているNezir Shinik君と御両親の近況について、現地で一家を受け入れている片山直樹(日本アルバニア協会事務局長)氏から報告が届いています。当ページでも紹介します。[   ]内は井浦注記。

手術のための共同募金AMDA日本アルバニア協会に皆様の御協力を。;

郵便振替 00180-4-139236  宛先「ネジール君を支える会」

その他お問い合わせは日本アルバニア協会事務局;
souwa@sepia.ocn.ne.jp または alba0523@karatsu.ne.jp へ。   ]
 

1999年7月7日(水)
  本日午後8時半のANAにて小松空港到着、私は空港の配慮でブリッジ前で出迎える。
  殆どの乗客が降りて最後の方で上田先生、AMDA田代さん、ネジール一家が見えた。父は思ったより小柄で、ネジールも小さく本当にきゃしゃだった。
  アブデゥラマン[父親の名]より小生のデュレスでのAMDAのメンバーのアギムからの手紙を頂く。感謝のメッセージだ。彼と抱擁し奥さんと握手、ネジールをはじめて見るがどうしても右目の義眼に視線が行く、第一印象は小さな人形かな?
  上田先生には本当にお疲れ様でしたと労いの言葉をかける。先週からのアルバニア、ブルガリア、マケドニア、コソヴァとの奔走を知ってるだけに、心から申しあげた。到着ロビーは報道陣と協会メンバーのアルバニア語歓迎横断幕、アルバニア国旗でお出迎え、すぐに救急車で金大[金沢大学]へ、救急隊はサイレンを鳴らしたいが、上田先生はネジールに気を遣い控えたいとの事だった。が、途中から景気良く鳴らす。
  大学病院には9時半到着、すぐに救急部へ入り、小児科小泉教授が診察、周りの沢山の白衣の姿に、ネジールは案の定大泣きである。特に問題はないとの事で、記者会見開始。
席上、ネジールはミニカーで御満悦。その後病棟へ、通訳は金大研修医のトルコ人医師ムラット先生が父親と会話、アブデゥラマンはトルコ語全く問題無い、ベオグラードのカルテを説明してるあいだは奥さんが息子と2人きりで動揺したらしく、涙を流す。
  金大のご配慮でブルガリア人留学生も会話の可能性を試みる。8割の日常会話程度なら大丈夫なようだ。ブルガリア語とマケドニア語は似てるしマケドニア語とセルビア語も似てるから共通単語が多いようだ。しかしややこしい!!彼らに今晩の水や、軽食を差し上げて帰る。

7月8日(木)
  朝、病室へ行くが父親は疲労濃い、責任を果たした為だろう。ネジールはぐっすり寝てる。パンを持って皆に差し上げる。空腹だったのかすぐに食す。
  シャワーをさせたいので、自宅に連れて行きゆっくりさせる。生き返った気分になったようだ。
  その後病院へとんぼ返りで夜は我が家で初めての宿泊、全国のアルバニア人からも電話がかかる。しきりに彼は謝意を述べてる。夕食は極力アルバニアスタイルで、徐々に日本の味にも慣れていくだろう。
  近所の仲間と上田先生で居酒屋でビールで歓迎会を開く。小柄なアブデゥラマンだが滅法酒は強い、アルバニア人だ!豚肉以外は何でも食べる。しかし小生の知ってるアルバニア人で豚肉食べないのは彼が初めてである。今までアルバニアはイスラム国家とは言われても、百聞は一見にしかず、小生絶対信じていなかったから、面白い。でも彼は我が家でお祈りはしないし、飲酒もする。日本の葬式仏教程度である。

7月9日(金)
 ヒュルメーテ[母親の名]も元気である。父親には自転車を渡して道順を教えて上げる。彼は物覚えが良く一回で家に帰れる。
 相変わらず病院では奥さんが子供の残りを食べてる、大丈夫かと尋ねるが、「スカープロブレム」(大丈夫)らしい。ネジールも元気でコンニチワなど覚えてる。病院内の売店や近辺の事情も教える。
 皆ヨーグルトが一番のお気に入りであるが、コソヴァ(アルバニア)チーズは日本で入手不可能だしアルバニア特産のギーズも難しいだろう。この二つは日本人にとって味噌醤油である。後は、日本の漬物にあたる塩漬けのオリーブは入手可能である。

7月10日(土)
 市内の方が好意で住宅提供を申し出てこられ、見学に行く。その後ジャーナリストの方と3人で話し合う。セルビアの凄惨な行為を聞くが、彼からは「自分の滞在中はユーゴ大使館の目もあるから書かないでくれ」と>念を押された。それくらい恐怖を感じてるようだ。
 ジャスコで子供用品買う。彼の金銭感覚の訓練にも良いが、やっぱり物価高は驚愕物であったようだ。

7月11日(日)
 午前9時半に彼は病院へ行く、彼の日本での順応性には驚かされる。朝の新聞チラシの電器店の値段を知って、安いとか素晴らしいとかベタ誉めであるし、世界に携帯電話が0円なんて日本だけだろう!!と腰を抜かす。コソヴァじゃ350$だとか。車も安いらしい。日本円の価値を知ってもらうには、ドイツマルクに換算するといいようだ。
 夜7時過ぎ帰宅。ロシア人の知人3人を呼んでセルビア語で会話を試みるが、1割通じたかどうか??父から感動的なメッセージが伝えられる。

7月12日(月)
 特に無し

7月13日(火)
 星綾高校のボランティア部に救援活動参加を要請。木坂校長先生も賛成で、近日中には具体的に活動が行えそうである。

7月14日(水)
 東京にて、「日本アルバニア友好議員連盟」設立総会出席。小松空港から羽田へアブデゥラマン(以下アブ)と行く。飛行機嫌いは大変である。都内の大きさに開いた口がふさがらない様子である。
 児島さんと議員会館で待ち合わせ、小池百合子議員事務所へ。14時から総会、森幹事長もいらっしゃる。外務省欧亜局審議官、東欧課員、馳参議院議員と会話。
 アブには体験談を話して欲しいとの事だが、彼は政治的な事は答えたくないと言明。必要以上に警戒してるのだ。
 自宅へは9時ごろ戻るが、その後彼は病院へ行く。

7月15日(木)
  昨日から本格的な治療が始まった。帰りに病院へ様子を見に行く。
  実は本日は金沢大学の教授の記者会見で、マスコミ各社も来ていた。病室へ行くと点滴が漏れて少し腕が腫れていて、痛がっている。
  ヒュルメーテは心配そうな顔で何か話し掛けてる。父親は息子の前では「泣くな!男だろう」と対照的である。しかし2人は晩婚で授かった一粒種がこんな病で、その心情を思うと胸が痛む。難病であるから最悪な事がいつ起きてもおかしくないだろう。彼らはそれも良く承知してる。ならば親として、息子に精一杯の事はしてやりたいのは当然だ。ここまで全力を尽くせば悔いは残らない、かもしれない…
  暗い話になったが最近のネジールの様子はやっと私の顔を覚えてくれた。笑って出迎えてくれるし、アリガトウ、サヨナラ、オハヨウも話す。病棟のプレイルームでは車に乗るのが大のお気に入りだ。他の病室の患者さんや付き添いのお母さんのアイドルのようだ。金髪碧眼の愛くるしい坊やである。
  相変わらず食べるのは遊びながらで遅い。多少のいたずらも母親はそんなにきびしくない。子供が注射されるとヒュルメーテも泣く。話によると、高齢出産の女性は子供を溺愛する傾向にあるとの事だ。特に好きなものは果物やスープ類である。何でも食べるが、甘いヨーグルトは駄目なようだ。

7月16日(金)
  最近判ったが少しアブも疲れてきたようだ。というのは、小生の友人もアブを誘って外食するが、最初は元気だがだんだん静かになり、声を掛けると「息子が私が帰ると泣いて困るんだ、それが辛い…」
  小生の唯一の命綱「アルバニア語−英語辞書」を指差してアンニュイな気分と[この部分、文のつながりが不明]小生は日本人だから、子供は別れる時泣いても明日又会えるし、泣いてくれるのは反対に嬉しい、とうがった見方をするが、アブはそうではない。あくまでも辛いのだ。
  東京で小池百合子代議士、森幹事長、看護連盟の清水先生、新藤先生等の国会議員の方々に労いや激励を受けて、記念写真を写した。彼は外務省のセルビア語通訳坪田事務官の通訳で完璧なセルビア語で心情を述べた。小生の独断であるが、この時は彼は完璧なユーゴスラヴィア人になつたと見えた。もっと詳しい惨状を聴きたかった。
  諸先生達の前で、アブは見事な態度で
「戦争というものを生まれてはじめて見て、その恐怖や経験は2度と経験したくないし、確かに今まではセルビア人とアルバニア人の関係は(あまり)良くなかったが、この事について私は政治的な質問にはお答えしたくありません」
と言った。これがもしアルバニア語で喋ったらどうだったかな?なんて小生考えた。
  金大病院5病棟1階小児科の方々には本当にご苦労様ですと申しあげます。小泉教授先生自ら辞書片手に会話を試みてる。アブも一生懸命日本語を覚えてる。自分でノートに書き込みながらたいしたものだ。小生と同じ年であるにもかかわらず熱心である。ドイツ語も片言判る。親戚の何人かは、フィンランド、ノルウェイに住んでるようだ。又、トルコにも親戚がいる。
  彼の今最大の願いは、コソヴァのプリズレンの家にいる母親に電話する事だが、あいにくプリズレン国際電話局が爆撃で破壊されて不通だ。毎日トライしてる。ならば州都プリシュティーナはつながるから、其方に電話して連絡つなげばどうかと言ったが、それも難しいらしい。
  KDDの回答では、ベオグラードの案内は出るが、コソヴァの方につないでと言うと、いきなり「故障中!」で叩き切られる。小生がベオグラードに電話しても
「実はですね、西側の(NATO)あなた方が爆弾落して壊されたのですよ。お判りですか?」
と流暢な英語で皮肉たっぷりに話す。いつ復旧しますかと聞くと
「さ〜何時でしょうね。何なら其方から直しに来られたらいかがですか?」
と愛国的忠実なセルビア人公務員様は申してる。まだまだ戦争は終わっていないと感じた。

7月17日(土)
  先日の先生方の記者会見でも頭蓋内転移は無いかもしれないと聞かされ、アブもご機嫌だ。ネジールも元気である。娘の真帆と見舞いに行き、笑い声も出る。
  さて我が家のアブであるが、朝刊の折込チラシをまず読む、というよりも写真と値段を見る。今日のチラシにはカメラのセールで「日替わり1950円!!3台限り」があったので大騒ぎである。早速飛んでいったがセールアウトで悔しがる。19日にもあるからとのことで納得し、9時開店の3時間前、つまり6時に並ぶと言ってる。
  彼の食事であるが豚肉意外何でも良く食べる。ナスの揚げ煮、きゅうり、トマ
ト、たまねぎは大好きだし、この前はギョウザをうまいと食べてた(いかん!ブタだ!黙っておこう)。
  それからギョウザ大好きである。カレーも好きだし、パンはフランスパンだ。日本のもので良いからとの事で、豆腐、モロミ味噌、も食べる。しかし、なめこの味噌汁は駄目だった。やっぱし!電気炊飯器が気に入ってコソヴァに持っていきたいとのことだが、ヨーロッパ仕様はあるのかな??羊肉(ラム)が恋しいだろう。私もアルバニアでは良く食べていた。
  ヒュルメーテと相談して真剣に2人で小生の家で生きた羊を解体してご馳走したい考えがあるようだ。それだけはやめて欲しいと小生や日本人なら誰でも考える。しかし彼らの最大のもてなしである。
  神戸の輸入食品会社から比較的東欧アルバニア周辺に近いチーズ、ギリシャのフェタチーズがあるとの事で、注文した。山羊の白チーズである。またギ−ズは近くのスーパーでなんとなく似た感じの物があり、食べさしたら満面笑みを浮かべ唸っていた。彼は我が家の一員になりつつある。

7月18日(日)
  本日は休日であるが、アブは9時過ぎに我が家を出発して病院へ。小生も午後から病院へ行く。
  ネジールもヒュルメーテも元気だ。ネジールは相変わらずじっとしていない。14日から3日間続いた点滴治療の副作用が心配されるが、今のところ心配は無いようだ。病棟の看護婦さんから
「あ〜片山さん!助けて〜!良いところでおいでました!」
  救世主が来たとの事でナースステーションへ行くと、明日の月曜日に検査の一環で浣腸のやり方を説明して欲しいそうだ。これは一寸小生には無理な内容であり、宝塚市のアルバニア系マケドニア人の方に連絡して説明してもらう。微妙な言い回しを何とか説明。点滴を外したので水分の補給が大切なようだ。飲んだ量は細めに記録がいる。ヒュルメーテも上手くやってる。
  アブもヒュルメーテも、日本の看護婦さんやドクターは素晴らしい!と言ってる。ベオグラードの病院は、ドクターはそれ程問題無かったようだが、セルビアの看護婦さんは「そりゃもうひでーもんだった!」らしい。あからさまに「このアルバニア人にやる薬は無いよ!」注射は何回もわざと打ち直す事もあったようだ。
  さて、アブは夕食後の後片付やコーヒーを入れてくれるし、小生の娘の真帆(13歳)も、この人本当に面白いし良い人ねと思ってる。ご飯に塩をかけてたから、醤油をわたしたら気に入って必ず掛けて食べる。
  パンより米が好きなようだ。正直言って小生は結構助かってる。

7月19日(月)
  今日は小生、外で財布を無くしたのです。意気消沈して帰るとアブは心配してくれて、お金を差し出して受け取れと言う。お前に世話になってるから俺が助ける番だ、と言わんばかりだ!
  実は本日例の1950円のカメラの発売日で、アブは6時半に並びに行った。夕方カメラを見ると残念な様子??ポラロイドである。がっかりするな、コソヴァで200$で売ればいい、と慰めた。でもフィルムは高いようだ。
  ネジールも元気だ。病院内の財団で募金箱の設置準備も完了した。堀さんの手製である。金大は医学部だけでなく全学部上げて募金支援活動を開始してくれるようだ。感謝感謝である。

7月20日(火)
  本日は休日です。という訳で報告はありません。

7月21日(水)
  本日から小生が入院する予定であったが、病院の手違いで30日に延期となりました。アブにこの事を説明するのに一苦労でしたが、何とか理解できたようです。
  アブはプリズレンの母親と兄弟に、日本で元気でやってる事や、ネジールの検査結果が良かった事、頭蓋内転移の心配が無い事を何としても知らせたいのである。
(このメイルは現在コソヴァに滞在中のAMDAのメンバーにも転送していますから、アブの肉親に伝えて下さい、お願いします。)
大変母親が心配してるだろうと言っている。メイルで知らせてるから心配無用と言ったら、元気になったみたいだ。
  アブは最近時々コソヴァの惨劇をポツポツと話しはじめた。兄弟同士でいかに家族を守ったかと言う武勇伝や、近郊の村の悲劇も聴いた。
  児島さんの方から募金の近況を聞く。西日本がやはり多いようだ。東日本は少ないとの事、何としてでも目標迄行かねばならない。

7月22日(木)
  日本人の小生もストレスが多いが、アブのストレスも大変なもんだ。ネジールの事、自分自身の生活や空爆、セルビア人との関係。色々聞かされるが同情もするし、日本人の悩みも話して理解させる。
  彼はとにかくこの家にいて、生活の事や医療は誰が面倒見てくれてるのか大きな疑問がある。皆のドネーションである、と説明するが、何故自分のような立場でこうなったのか?わからない?が正直な気持ちなのだ。
  難しく考えるな、宝くじに当たった思えば良いじゃないか?そう思え、と話す。(小生の計算では宝くじより確立低いと判った!)アブの心の中には何かしらの蟠りがある。一方的な世話に慣れていないのだ。だから自分も仕事をしてみたいと言うのかもしれない。

7月23日(金)
  本日、17時に金大で記者会見。出席者は渡辺院長、小泉教授、婦長さん、ムラット先生そしてアブである。
  病室での近況の写真と治療後の著変は無いが、ほぼ予想していたとおりで、順調な病院生活をネジールは過してるとの事である。アブは、皆さんのお陰で快適な毎日を過してる事を話す。
  さて、アブであるが新聞チラシの釣具店の内容を見て、叉色めきたつ。298円、980円、等など、コソヴァじゃ2000円、5000円だと。
  ところで、小生の知る限りアルバニア人の起床は早いが、アブは遅い!
疲れてるのか良く寝てる。起きてからは、アブは「オハヨウゴザイマス」で、小生は「ミルメンジェス」と第一声を交わす、そして彼がコーヒーをいれる。匙加減も覚えてくれてる。
  皆さんはご存じないが、アブは物を覚える事!家の中の設備や機器操作は本当に一発で覚えてくれる。道の方向感覚はこれまた抜群である。
  今日は娘の真帆が紙にアルバニア語と日本語を書いて、家のあちこちに張り出した。今年の夏休みの自由研究はアルバニア語にすれば良いじゃないか?と話したら、娘に軽蔑された。
  夜は、榊原さんと言う小生の相談相手のご隠居さんに夕食に誘われる。肉が赤いのが苦手なアブは、叉焼いてもらった。

7月24日(土)
  午後から娘の友人と計4名で病院へ行く。ネジールは食事中で、白米飯である。傍らに案の定、食卓塩が置いてある。
  我々が行くと遊びたいのか、飯を中断する。殆ど食べてくれない。小生の子ならば押え込んででも食わすが、シニック家の方針はあくまでネジールが主導権を握る、アブも食べない事にしかめっ面。ならばお前さんが怒ってでも食わせろ!!と言った。確かに摂取カロリーは日本の子より少ないだろうし、間食はあまりしないのがアルバニア人かな?小生がデュレス(アルバニア本国の港町)に滞在中の時も、近所の子は良くきゅうりやトマトをかじってた。
  アブのコソヴァでの生活タイムは朝7時半頃から起床、朝食は8時半、昼は2時から食べる。そして夕食は9時半過ぎである。永年の習慣が日本で一変したから、慣れるまで大変だ。
  彼は大阪の堺のDelovac Ramo氏に電話して、何も仕事しないで小生宅に滞在するのは気が引けて仕方が無いから、仕事をして自分で稼ぐ、と相談してる。堺の氏からは、難民として来日した肉親5人が居るから大阪に遊びに来てくれと言ってる。氏もプリズレン出身だ。しかし5人を日本に受け入れて大変である。
  小生は、デュレスの近郊のカトゥンドゥリ村でRamoさんからの肉親捜索依頼の出てた難民の母親ら8人の居場所を突き止めてきた事を思い出すが、その8人が来日予定と聞く。何もかも違う日本に来たいと思うのはアルバニア人の家族の絆の成せる技か?しかし凄い。アブの縁者もニューヨークに居住してるらしい。一時はネジールの事で助けを考えたらしいが、困難極まりなく断念したようだ。
  金大の受入が決まる迄、AMDAの現地スタッフがマケドニア、ドイツ等に打診して奔走した事は、アブからも聴いた。アブ自身もアルバニアのクケスまで車を運転し、アメリカのIMCやフランスのMDMに「助けてくれ!」と動き回った事も、メモを見せながら話した。万策つき果したところで、東洋の医師達と出会えたのである。
  夜は近所の河川敷で盆踊りに行く。興味深く見学していた。
  帰宅後、深夜になりお互い何となくビール飲みたくなり、小生とアブは娘に隠れて我が家を脱出した。

7月25日(日)
 本日もアブは朝早々と病院へ出発。
 実は今日は我が協会の誇る最大の助っ人、広島大講師[正確には学術振興会特別研究員(広島大)・広島文教女子大非常勤講師。でも長過ぎていつの間にか妙に短縮]の井浦氏が来沢する。氏はドイツでアルバニア語を取得した人物で、アルバニア語歴は7年にもなる。小生とは97年に4週間程度アルバニアに滞在した方で、まさに至宝的な存在の氏である。
 午後2時過ぎ到着でそのまま一緒に金大病院へ。アルバニア人が日本語喋ると日本人は驚くが、日本人がアルバニア語喋っても、シニック家に限らず、彼らは然程驚かないのが小生は不満だ。
(この日本で何人アルバニア語喋れるか、あんた達知ってるのか?)
 院内では広瀬看護婦長から早速質問があり、主治医の上原先生からは家系図を作成するのに協力を求められる。その中には既往歴の記入もある。難なく終了したが、まもなく小生の携帯に高知医大の先生から連絡が入った。
 高知には、アルバニア人の研修医のGuri氏がいる。在日アルバニア人にネジールの事を伝えたので心配しているのだ。免疫療法の研究で上司の先生から、高知医大が協力の用意があるとの申し出をなされてきた。金大の主治医の先生にも事実のみお伝えした。
 夜は家でゆっくりと懇談したが、井浦氏のアルバニア語とアブでは、単語や語尾が異なる事が多いらしい。方言のゲグ語、トスク語の違いである。それでも難なく会話できる。スゴイ!
[と片山氏には見えていたようですが、当人同士は四苦八苦でした]
 ビールが進むと饒舌になり、井浦氏もいる事で、今まで話さなかった事が明るみに出てきた。彼の承諾もあるので一部を公開する;
 プリズレンでは彼の知る限り100世帯が破壊されて、37人虐殺があった。
 また、ベオグラードの看護婦の嫌がらせは凄まじく、ネジールの腕に何度も注射針を刺したようだし、看護婦が夜中に病室に入り何をしでかすか恐怖でおちおち眠れなかったようだ。
 またアブはベオグラードの親戚から車で病院に通っていたが、車の下に爆発物が仕掛けられる恐れがあり、いつも慎重に行動していたようだ。
 自宅にセルビア兵が進入して、兄弟でとっちめた事もあった。
 それよりも、戦争中のプリズレン市内のメインストリートにはセルビア軍のトラックが爆薬満載で駐車していたようで、仮にアパッチヘリからのピンポイント攻撃を受ければ、町中吹っ飛ぶ事になったらしい。
 また、その傍らにいたセルビア兵のストレスたるやこれまた凄まじく、夜中に家に侵入しては、破壊行動や威嚇をしていたようだ。
 アブ自身の事であるが、6歳で就学し8年の義務教育をえて、高校に4年間、その後18歳で兵役につき、15ヶ月クロアチアで訓練(旧ユーゴ連邦軍)。退役後マーケティングの専門学校で2年間勉強し[ここのところ、兵役の前かも知れません]、繊維関係の輸出入公団で仕事をしていたが、90年からのアルバニア系一斉追放で無職であった。これはコソヴァの住民では普通の事だ。
 政治的な事は話さない彼だが、
「ここまで拗れたら元のサヤに収まって両民族が融合する事は難しいだろう」
と言う彼にたずねた。「あなたにとって政治とは何か?」
彼曰く、
「自分にとっての政治とはネジールだ!それが全てだ」
小生、深く感動した。

7月26日(月)
 今日は両親の記者会見だ。10時から井浦氏の通訳で開始。
 アブは例のごとくコチンコチンに緊張[あんまり緊張していたので、アルバニア語で『もっとくつろいで下さい。この人たちは単なる新聞記者で、閣僚じゃないんだから』と言っておきました]。ヒュルメーテの方が落ち着いている。
 両親から謝意と、募金の協力のメッセージ、コソヴァでの暮らし等を話す。途中までネジールが寂しがるからと会見場の手前まで連れてきた。顔半分が隠れる大きなマスクに笑ってしまった。彼が大泣きしたので、ヒュルメーテが途中退席した。
 さてヒュルメーテであるが、アブとは職場で知り合ったらしい。アブはご存知のとおり独身生活が長かったので、大変有意義な生活??を送ったようだ。ヒュルメーテはそんなアブを知ってか、いつも奥方が[アブのそばに]居ない事を心配してる様子だ。それで最近は口喧嘩らしき事をしている。彼は日本人の平均から見れば大変まじめな生活をしている、と小生は思う。
 ところで、今夜8時に念願の母親との電話がAMDAのプリズレンのインマルサット(衛星電話)で行える事になった。小生が最初に電話すると佐藤調整員の声が聞こえた。そして母と代わる。叫ぶような声に聞こえた。
 アブは、元気にしてる事や、ネジ−ルの検査結果が良好な事を話してるようだ。母からは、街の郵便局も機能していない事、ドイツ軍がKFORの主体で活躍している事を聞く[Prizren市に展開しているKFORの主力はドイツ連邦軍]。13人家族が一つ屋根の下で暮らし、その長男が異国で頑張っている事を感じたのか、アブもだんだん目が真っ赤になってきた。そして涙声で話す。
 途中アギムと小生話す。相変わらずガラガラ声で、何言ってるか判らない。彼は元々英語教師だったが、難民として我々と知り合い、AMDA通訳として頑張っていた。アブが日本へ行くときも、
「心配するな、日本にはBabuç(小生の通称)がいる。お前とよく似た、酒飲みで面白い男だから」
と励ましたそうだ。
 現在のプリズレンには食料豊富で商店、仕事も平常だそうだ。
 アブであるが彼は古風な男(アルバニア語でBurri me tradita)で、もう自分のような男はアルバニアに居ないし、コソヴァでも少ないと言ってる。大変に男気のある人物でもある。アルバニアの50年間の共産主義独裁体制国家では古風な男が壊滅した、と言う。これはBurri i madhというらしい[これはちょっと不明な点あり]。小柄だが、近所では一目置かれる、頼り甲斐のある親父だ。小生井浦氏に、アブは幸運な男で、アルバニア語で何と言うのか尋ねると[アブが]「ナファカリ(Lucky man)」と教えてくれた。
[『幸運』をアルバニア語で nafakë と言うので、たぶん nafakari だと思いますが、正直なところよく分かりません]

7月27日(火)
  本日は井浦氏が帰る日であり、小生の束の間の安息日?も終了。アブも話し相手になれる方がいなくなるのは寂しいだろう。
  実は昨日のアブの話の中で、気になった事があった。酷な質問だったが、
「もし、ネジールの病巣のある目を手術すれば命を救える、という判断が必要になればどうするか?」
と聞いたのだが、アブは即答で、
「そんな事はしない!」
と言った。暗黒の世界に放り出す事は親としては出来ないのだ。当然といえば当然であるが、小生は、アメリカのある少女がネジールと同じ病で両眼の摘出後に成長して、優等生で立派な人物になれた事の話をした。しかし小生も、娘が同じ立場ならアブと同じ即答をしただろう。あまりにも酷な二者択一だ。

7月28日(水)
  アブも小生も元気で特に報告は無し、金大から義眼が出来て請求書が来た。メイドインジャパンのプロテーザ(義眼)の出来具合に興味あります。

7月29日(木)
  広瀬婦長さんから、義眼の事を聞くと、新しい義眼のフィット感がなじめず、旧品をまた入れ直したようだ!?相変わらずのヒュルメーテの心配性である。新品は整容感が良かったようであるが残念だ。
  アブは8時半過ぎに帰宅、ネジールの毛髪が抜け出してきた事を悲しんでいる。小生は「心配ない、薬が効いてきたのだ」と慰めてあげる。ベオグラードの病院でも同じCarboplatin+VP16という抗がん剤を使用したのに、脱毛は初めての事だったようだ。2週間後位でこうなるとは驚いたが、2回目の治療ではもっと長い点滴になるようだが、全部脱毛したら可哀相に思えてきた。小生の娘は「帽子を買おうか?」なんて話して本日は終了。

7月30日(金)
  小生、本日から病院へ入院します。と書くと一体何事か!ですが、大腸の検査入院なんです。1週間くらいかな?
  とにかく、入院先は国立金沢病院ですが、31日、1日は自宅に戻ります。
  本日、小生の知人の国友さん(画家)が、ネジールの肖像画を書いてもらうために病院へ訪問した、30分程度で終了したが、素晴らしい出来栄えである。被写体も最高に良かったと国友さんは話す。椅子にちょこんと座って可愛い事といったらありゃしない。皆で大喜びした。心配した脱毛も、そんなに気にする事もなかった。
  星綾中学の2名の子達(ボランティアグループ)がお見舞いに来てくれた。
  実は明日、馳参議院議員(地元選出、日ア友好議員連盟事務局次長)が13時半にネジールのお見舞いに来るらしい。岡田学長も同行されるようだ。
  本日は大阪に例の8人のコソヴァ難民が到着したようだ、アブは大阪に電話して(デロバツ・ラモさん)確認したのである。ところでアブにE-mailを教えてプリズレンの方に送信してみた。彼はキーボード操作初めてだったが、スピードこそ遅いものの、打刻のミスは無い!これには本当に驚きました。ネジールの写真も付けてあげた。きっと母は喜ぶだろう。
  参考までにアブは、手紙をトルコ語で書きました。

7月31日(土)
  連日の猛暑(今週は37度を記録)であるが、アブは元気です。
  今日は、倒産品大安売りの催しがあるチラシをアブが見つけて、
  「何!スラックスが98円か!!」
と言う訳で会場へ連れて行く。案の定売り切れであったが、時計を持っていないアブは2980円の懐中時計を買う、中国製か?日本製か?の質問に小生チェック。ムーヴメントは日本製のようであり?彼は納得する。コソヴァも中国製が多く、安かろう悪かろうと言っている。
  13時半に予定通り、ネジールのお見舞いに馳浩議員来院。岡田金沢大学学長もお出迎えされる。ネジールを抱っこするも、「うぇ〜ん」と泣き出す。相変わらずエネルギッシュで若い(38歳)参議院議員だ。アブもヒュルメーテもご機嫌な様子であるし、ムラット先生はトルコ人だからレスリングが大好きだ(馳議員はレスリングで84年のロサンゼルスオリンピック出場)。日本アルバニア友好議員連盟の事務局次長も務めてる。
  夜は7時半にアブが帰宅。せっかく買ったワインビネガーやトマト缶はヒュルメーテに「いらない」と言われて、ブツブツ言いながら持ってくる。2日前に買ったらしい小イワシも持ってきた。何とか食べれそうで、皆で食した。

8月1日(日)
  シニック一家が来て、はや26日となりました。
  アブは昨日、「見ろ見ろカタヤマ!」とばかり一枚100円のTシャツを買ってきて、3枚くれました。俺は買い物が上手いだろうと言わんばかりです。でも、先日聞いた話では、戦争中はコソヴァでマルボロが一箱700円にも値上がりしたようです。
(何故か東欧やロシア圏はマルボロが人気ある。アメリカの象徴なのか?)なんだかんだで彼なりに順調に生活してるし、ヒュルメーテも病棟の付き添いの若い奥様がたと車に乗り、買い物に連れてもらってる。そしてネジールも入院中の子供たちと仲良しになったみたいである。食事どきの配膳車を押しながら「チョットスミマセ〜ン」とやってる。見てると何処が悪いのか解らないが、それは小生のような他人が思うことで、身内は絶えず病状を心配してるのだ。小生も両親を不治の病で亡くした時は、看病中はいつもハラハラドキドキであった。その事を考えると、両親の気持ちは痛いほど解る。
  では本日小生入院につき次回の退院まで数日お休みいたします。



永い間お留守にしていましたが 体調も回復し滞在日記を再開します。皆様どうもすみませんでした。

8月〜9月前半の出来事

  ネジールは抗がん剤の影響ですっかりツルピカになり可哀相ですが元気です。 この1ヶ月ですが主な出来事は;

   2回目の化学療法の効果もなかなか難しく、特に高熱が数日間(40度)続き昼はヒュルメーテ夜はアブが寝ずの看病で大変でした。
   親の気持ちや愛情がヒシヒシと伝わります。

   広島の井浦さんが、恒例のアルバニア滞在1ヶ月のうち10日間程コソヴァのアブの家に行きました。手厚いもてなしを受けたようです。
   ネジールのおばあちゃんから孫にと御菓子を持ってきました。コソヴァのラキ(アルバニアのぶどうの蒸留酒43度)も頂きました。アルバニアの物より甘味がやや強く感じます。早速アブと乾杯しました。旨い!

   さて、皆様はこれまで、言葉も通じない人とどんな生活かとさぞかし大変と思われるでしょうが、50%は意志疎通が出来ます。彼は洗濯や掃除など手伝ってくれているが、とても丁寧な掃除をするし、見事なものです(お世辞じゃありません)。最近は彼がこうしたい、小生がああしたいというのも阿吽の呼吸で可能です。

   自民党の馳参議院議員がネジールのお見舞いに来られ、アブは議員からもらったTシャツを大事にしています。

   アブは毎晩インターネットのコソヴァプレスニュース(アルバニア語)で不便はないようですが、家族に電話をかけることができないのです。
   最近アブは、ベオグラードの友人に電話したら知らないセルビア人が出て、よくよく聞くと、コソヴァに居たセルビア人とベオグラードのアルバニア人との住宅の交換がおおはやりで、友人はプリズレンの近く(車で30分)に引っ越しました。
   母親を呼んで電話で会話が可能となりトライしましたが、何故か先週は(9月7日)はプリズレンに入る幹線道路が全て封鎖されたようで、願いも叶わず落胆しました。ロシア軍が行ったようで、アブの怒りはスラブ系の人に向けられています。(でもロシアやウクライナの女性は別だと絶賛しています??)

   日本テレビの桂さんの取材が6時のニュースで取り上げられてから募金がグーンと増えたようです。感謝。

   9月14日の13時から、金大の学長室で金大の全学募金の贈呈があります。先週はゴルフコンペで募金が7万以上あつまりました。金沢のライオンズクラブも近々募金の贈呈をしますと連絡ありました。何とか遣り繰りしてますが、この先どうなるやら?

   AMDAが受け入れるコソヴァからのDrはガズメンド氏という方だそうです。(井浦氏の情報)腫瘍の専門家です。

   先月のトルコ地震では上田先生が救援に駆けつけました。アブの兄弟もイスタンブールの近郊に住んでいて、ノルウェイの親戚にも電話して安否を確認しましたが、無事で安心しました。ギリシャにも地震があり、バルカンの地震帯にアルバニアがつながるので小生は不安です(金大理学部の河野先生大丈夫でしょうか?)。

   ところで支える会の児島さんのところに、テレビで[見て]上田先生のファンです、手紙を渡して下さい、と連絡があったようです。が、何故小生のところには来ないのか??

   8月の盆休みに児島さん夫妻が金沢に来られ、アブらと話し合いをしました。生活費を小生から渡されるのを遠慮してるようで(別に小生のお金でないのに)、堀さんから2週間に1回手渡す事にしました。

   アブも今年の金沢の暑さに参ったかと思いきや元気でしたが、数週間前からアブが腰や背中の痛みを訴えだし、日本の座る生活に慣れず負担をかけての事と推測しました。先日急にメリケン粉2キロ買ってきて、いきなりクレープをじゃんじゃん作り出し、2時間ほどフライパン握りっぱなしで翌朝ついに
「首が回らん!イタイイタイ」
   で小生の親友の開業医で診察、治療をしました。友人の話では原因は
「クレープだろう」
でした。

9月5日(日)〜12日(日)
  小生最近は少しネジールの病院へはご無沙汰状態ですが、いたって元気です。
  思えばこの2ヶ月あまりアブは一日も休まず病院へ行くが、ヒュルメーテが毎日来てくれといってる訳でもないらしい。たまに交代で休めと言ってるが、ネジールが心配するからとのことだ。父親も病院にいても特段する事も無く、ブラブラするのなら何か他の事でもやらせてみようか等とも考えるが、困難である。

  小生の娘が
「お父さん、アブさんの好きな人知ってる?」
と聞いてきたので、誰、誰と聴いたら何と「鈴木あみちゃん」らしい。花束もってコンサート行きたいらしい。小生
「彼女は16歳だ」
と教えたら、口あけてがっかりしていた。

 アブは14日からのレーザー治療の事を心配してる。もし治療が失敗して失明したらピストルを頭部に当てて自殺すると言ってるが、信じる事に専念しろと小生力づける。

  昨日、ヤマダ電機のオープニングセールの「電子炊飯ジャー980円 20名限り」で彼は飛んでいったが、入手できなかった。日本に来てから米ばかり食べてるから痩せてきた??と言ってる。とにかく、醤油と本だしはコソヴァにもって行くようだ。
  ヒュルメーテは日本の味には馴染めないようだ。アブは郷に入れば郷に従えが良くわかってる。ドイツなどで労働の経験が豊富だからだろう。ベンツの工場での仕事の経験談は傑作だった。今度機会があれば紹介したい。

  念願の母親と会話ができたらしい、ネジールも電話に出た。ひと安心である。母親から、あまり小生と酒を飲みすぎるな、と言われたらしい…[母親にチクッたのは私、井浦です]

9月13日(月)
  明日はいよいよネジールの眼にレーザー照射で腫瘍の治療をします。アブは凄く心配しています。
「失明したら自分は死ぬしかない」
とこめかみにピストル当てる真似までしています。馬鹿な事考えるなとつとめて明るく話し掛けますが、神経質な彼は聞く耳持たずです。
  井浦さんの話では、アブの兄弟は「兄貴は神経質なんだ」と言ったようで、小生納得します。でも兄弟は働き者の兄を尊敬してます。
  夜に小生の親友のY医師が遊びに来ました。レーザーの事について
「心配ない大丈夫だ。」
 と慰めました。Y医師が帰ってからアブは
「片山どうしてDrが大丈夫というのかわからん!」
と言うから、彼はレーザーの経験あるのだと言うと納得したようである。
  アブは結構ガンコ者である。

9月14日(火)
  今日は金大の寄付金贈呈式で東京から児島さん夫妻と上田先生が来沢しました。
 13時からの贈呈式は岡田学長室で行われ、なんと!250万円も寄付がありました(実は児島さんも小生も腰をぬかしそうになりました)。金大の皆様ありがとうございました。心からお礼申し上げます。
 午前からのネジールの光凝固療法も無事終了し、麻酔が効いて寝ていましたが、2時過ぎに起きて元気そうでした。アブもヒュルメーテも安堵の表情です。
 児島さんの奥様がヒュルメーテを外に連れ出し、買い物に連れて行くまでに一苦労でした。売り場でも子供用品しか目が届かなかったようです。彼女の、子供だけの人生が哀れに思われます。
 夜はムラット先生や有志を集めての食事をしました。帰りの車の中では皆がリッキー・マーティンの曲で大騒ぎをして帰宅しました。アブも元気になりました。

9月15日(水)
 本日は休日で、夕方からアブを囲んで近所の有志で慰労会?を開催しました。かなり夜遅くまで懇談したが、またもやアブの新たな一面を見せられる。それは今度の機会にまた詳し〜くご紹介します。

9月16日(木)
 念願の一時外出の日がきました。明日からシニックファミリーの大阪行きです。デロバツ・ラモさん(5月に来日したコソヴァ難民)の家に行く事ができます。
 13時に外出して兼六園とジャスコに買い物です。兼六園では、池の大きな鯉に餌をやり大喜びでした。
 夕方小生自宅に帰ると、やはり沢山のネジールの衣類や玩具で遊んでいました。マルコメ君(ネジール)は久々の家の中で大はしゃぎです。床の上に大の字になれた事が嬉しそう。明日は、彼らは朝の9時の特急で大阪に向かいます。
 4日間の外泊を最高の思い出にさせたいと、小生は願ってやみません。

9月17日(金)
   大阪行きの日です。9時発のJRで出発。テレビ局は2社同行です。ネジールは朝が元々早いようで、ごきげんはまずまずです。
   彼はバスが大好きです。「アウトブス!」[autobus アルバニア語で『バス』のこと]を連発しています。列車の中では車窓の景色がやっぱりお気に入りです。
   難なく大阪に到着。人の多さにアブ達は驚いています。地下街で食事を考えましたが、このまま堺市に直行する事にしまして南海電車で移動。
   堺東駅ではデロバツ夫妻が来ていました。アブと主人のラモさんはアルバニア式の抱擁の挨拶です。
   商店街を歩く事5分で、ラモさんの経営するスイス料理と居酒屋「いじんかん」に到着。店内は準備中で、その中に、小生がアルバニアで出会ったNexhat(ネジャット)君19歳がいました[Nezhatかも知れません]。彼も小生の方に来て抱擁です。元気そうで安心しました。
   ラモさんは奥さんの智子さんとスイスで知り合い、結婚して6年前に来日したコソヴァのアルバニア人です。5月に最初の5名がラモさんの所に避難し、母親達はアルバニアのデュレス近郊のカトゥンドゥリ村の平屋に14人で住んでました。 その時は小生がAMDAを通じて捜索の願いを受け、探し出したのでした[その模様はこちら]。当時の状況を思い出すが、あの悲惨な生活が今は嘘のようです。
   ラマダン(43歳大工)も来ました。げっそりと痩せていたアルバニア難民の頃から比べると、ふくよかな顔のオヤジさんです。その他には、5月に来たスマイリ・ジャコライ(製パン業)もいました。あのアルバニアから比べると大阪はどんな街の印象かな?一寸心配する小生ですが、ネジャットは順応性高いようです。皆は夕方日本語講座に行っているとの事。彼は片言で話します。
   店内でアブ達と皆で記者会見(新聞2社とテレビ3社)。恙無く終了し、彼らの今の住まいへラマダンが案内してくれるとの事。歩いて10分ぐらいだというから、歩くとこれがとんでもない距離!だったのです。テレビの方々ご苦労様でした。
   彼らは実によく歩きます。確かアルバニアの時も村からAMDAの事務所まで13キロを歩いてきたと思います。
   彼らの住まいは公団の2世帯に15人です。大変です。しかもネジャットの奥さん(アリエタ、なんと16歳)は身重です。何処で寝るんかいな?コソヴァの農民が大阪のコンクリートジャングルでは、さぞかしストレスも溜まるでしょう。
   智子さんの話では、この先もかなり大変です。来年12月まで 外務省の外郭団体アジア教育福祉財団難民事業本部より大人1500円、子供750円の手当てが毎日支給されるとの事。
   一番の問題は住宅だそうです。堺市も大阪府も具体的な援助は何もできないと言明したが、市議が応援してくれてるとの事。ラモさんに
「大変ですな」
と言うと
「しゃあないな〜」
と大阪弁で答える。
   夜は「いじんかん」で会食。宝塚からハキク・マムディ氏(マケドニアのアルバニア人)も来る。彼は今、13人の難民認定のインタビューの手伝いをしてる。彼曰く
「日本で、あなた方のお陰で4年ぶりにアルバニア語を話すことができた。私の人生は変わりました。中津先生と東京に翻訳にも行きました。日本人がアルバニアの事を助けてくれて
ほんまに嬉しい
と話す
   夜も更けアブに、ヒュルメーテとネジールを先に送る、と言うと奥方は、アブの命令があるまで帰れない、と言う。アブは、何を言うか居れ居れ、と話す。何とか連れ出し、ホテルで休ませる。


11月25日(木)
   家に帰ったら,ネジールマルコメは
「おかえりなさ〜いかたやまさん」「カトチャンペ」とか「アイーン」
て娘に教えてもらって,毎日してる。
   だけど
   ん・・・ん・・・変な雰囲気?
   アブが頭痛いと言ってるし、ヒュルメーテは脅えてる。
   聞けば、ヒュルメーテが電気鍋を火に近づけて外側溶かしてしまった。
   小生、気にするな問題無い、と言っても、あの超神経質なあぶちゃんが治まるはずはない。
「この家に5ヶ月世話になりなにも粗相はなかった。それが3日でこんな事をするお前は・・・・・・・・・!!!もういい コソヴァで別のかあちゃんもらうから!!今すぐ帰れ!!
   あんまりひどいんで外に連れてく(離れさせた)。
   ヒュルメーテは「片山さん 本当にごめんなさい ごめんなさい」 てな感じで気の毒だ。一体どれだけ怒ったのか。近所の居酒屋でも元気ない。
   寝るまで頭痛いと言ってるこの人は本当に超超神経質であります。


それから

もどる