片山事務局長からのe-mail 其之五(1999年6月7日付)

[片山事務局長がAMDA日本支部宛に送った現地報告です。一部文字化けした部分を推定・復元し、片山氏の趣意を変えない範囲で、段落分けや句読点を補いました]

何はともあれ8人が見つかって良かったですね[『片山事務局長からのe-mail 其之四』参照]。私も自分の事のように嬉しかったです。お母さんがコンニチハと話し掛けてきた時は熱いものがこみ上げてきました。何と言っても最大の功労者はデルビシです。彼には、先日の盗難事件や今回の事で本当に感謝しています。

6月3日
 Tiranaにて7時起床。本日は早川先生とTirana視察同行です。
  9時にRekoさんとアポでマザーテレサ病院、陸軍病院、スポーツコンプレックス、NGOセンター、MSFの以上を見学。
  マザーテレサHSPでは、ベチーリ医師から説明、早川先生が手術室見学。 国内最高の施設だけあり、器械もかなり充実との事、控え室にコソボからの研修医が3名いた。ケルチク医師は麻酔医で多忙を極め、ドア越しに会話。
  陸軍HSPは老朽化著しく暗い印象を受けるが、ECHOの事務所が存在。
  スポーツコンプレックスは、3週間前から比べるとかなりの人が減った。国内に分散してるからだが、ただ施設の草臥れ方と、不潔なのが気になる。難民の多くはセルビア側から追いたてられて来たらしいが、空爆の避難も多いだろう。
  NGOセンターは閑散としていたが、デイリーな情報は正確に掲示されてる。 ただ、資料をコピーしようとしても、故障中でできない。
  MSFは小生の記憶で行き着いたが、移転していて新しい事務所を何とか探す。NGOセンターの裏側で、イスマイル・チェマリ通りである。
  3階建ての大きなビルで内狽熄[?]、全土に展開中の人員数の掲示版を見て、さすがに世界最大のNGOだと思いました。
  その後旅行代理店で早川先生のイタリア行きチケットを買い、先生はデュレスへ、小生はPWJの方々の事務所を見学して終了。

6月4日
  デュレスへ戻りメールチェックすると、本部から先般日本へ渡ったコソボ難民の家族を捜索して頂きたいとコマンドがある。 7人の名前も完全ではないし、情報はデュレスから1時間ぐらいのキャンプだけらしい。70544人の難民の中からこれだけの手がかりで探すのは無茶といわざるを得ないが、とにかく行動を起こしたい。
  デルビシから、サリ・ベリシャ前大統領に会わないか?と連絡が入る。 11月の総選挙で返り咲くチャンスも無いではないから、両政治勢力にバランス良くするのも方策である。ベリシャ氏は最近アメリカから待望論も出てきたらしい、彼のような強いリーダーシップが必要な事も、現状のアルバニアでは理解できる、またコソボの穏健派指導者ルゴバ氏とサリ・ベリシャも仲が良い。最近の彼の私生活も興味がある。

6月5日
  モバイル終了後、デルビシの協力でデュレス県庁の難民情報センターで例の7人の手かりを探るが、名前が不完全なのがネックで、コンピューター検索も無い。スタッフが20センチほどのファイルを4から5冊ドカン!と置いて、さあ調べてくれ という感じだ。
  デルビシは一案を出して、マスコミに呼びかけるように手配した。早速新聞記者が来て、いやテレビがいい、テレビだテレビだ!等とデルビシが機転を利かし、カメラマンと記者も来た!
  Teuta TVで
「日本から来たAMDAの片山です。先日あなたがたの仲間が5人日本に来ました彼らは離れ離れになった家族を探しています。たぶんデュレスの近くに住んでるはずです、 名前は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・です何かしらの情報頂きたい。協力して下さい」
と呼びかけた。これで見つかればこんな楽な事はないが混乱のアルバニアだ。少ない確率だろう。
  夜のニュースでセルビア軍がコソボで化学兵器を使用したと報じた。 相変わらず夜間のデュレスはアパッチヘリの訓練が続いてる。夜間飛行はアパッチしかないらしい。終戦はいつなのか?
  こちらにいると日本の出来事は全く入ってこない、日本に渡ったコソボ難民も誰も知らないが、知ると驚く。
  それにしてもアルバニア人の絆というかネットワークの強さは驚くばかりだ。彼らは、イザという時には驚くべきパワーを発揮する。少数民族の防衛本能かもしれない。通訳のアギムも、弟が数日前にドイツに密出国した らしい。
  元来ドイツにはアルバニア人、コソボ人は多い。こちらも難民は英語は駄目だがドイツ語堪能は多い。アルバニア人はイタリア語はペラペラだし、比較的ギリシャ語、フランス語のできる人も多い。年配者はロシア語も得意だし、この前Tiranaであった親父さんは北京語通訳だった。60年代にさぞかし特訓したのだろう、凄く流暢であった。島国日本人には羨ましいかぎりだ。
 


[追加]

6月10日
  本日Gosaでのモバイルの帰途ですが、車が路肩に止まり大騒ぎで、交通事故かと思い上田先生とダッシュで駆けつけると、3人が銃弾で撃ち抜かれ即死状態でした。自動小銃です。
  1人は車外で死亡しており、それぞれ4〜5発は撃たれたようです。
  私も上田先生もゾーッとしました。たぶんマフィアの報復でしょう。
  こちらの街でも銃声は聞こえます。
  アルバニア時間9日の午後10時に停戦合意のニュースが入りましたが、特にデュレスはお祭り騒ぎの様子はありませんし、平穏です。郊外の方では、若人が夜に空に向けて祝砲を撃っていたようです。
  モバイルスタッフのコソボの方も「まだまだこれからが始まりだ」。要するに今後のコソボの平和監視が重要であり、今すぐに故郷へ戻れるとは考えていませんし、非常に冷静です。
  又日本でじっくりと報告させて頂きます。

アギム氏通訳のコメント
「嬉しいがまだコソボではミロシェビチの人殺しは続いている。真の平和が訪れるまでまだ安心はできない。この意見は皆も多分同じであろう」

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