(秘密のページにようこそ! ここでは年寄りの本音 が聞けますよ)

ある年寄りの独り言
 

年寄りじみた若者を若年寄りと言うが、若者振った年寄りはなんと呼ぶのであ ろうか?ここでは、この若者振っている、ある年寄りKの本音のお話しです。このK は、すでに還暦を過ぎ白髪も増えてきているにもかかわらず、自分が年寄りであると は思っていない。そして、自分の子供と同じくらいの若者と一緒になにかをやる時、 若者と同じ年であるかのように振るまい、先頭きって引っ張っていき、みんなに若い ですねとおだてられいい気になっている。しかし、自分の20才の頃を振返り、その時 60才の人をどう見ていただろうか思った時には、残念ながら、今の自分が間違いなく 年寄りであることを認めざるをえない。この認識もすぐに忘れてしまうのが、この年 寄りがただの年寄りとは違う”若者振った年寄り”である所以となっている。ここに は、実際は年寄りでありながら、精神的にも肉体的にも若者と同等であると奮闘して いる一人の”若者振った年寄り”の独り言が記されている。

 

若者振った年寄りになるための心得

見栄とやせ我慢;もう年だから、”やせ我慢 してまで見栄を張ることがない”と思った時、年寄りはただの年寄りとなってしまう 。若者は、冬の寒さにも我慢して下ズボンをはかない。ださいから、年寄りじみてい るからと、寒さに対しやせ我慢している。この見栄を張るためにやせ我慢をするのが 若さであり、その見栄を捨て妥協してしまうのが年寄りである。若者振るにはこの見 栄とやせ我慢が大切である。

”今の若い者は”と言わない;よく、”今の 若い者は”と言う言葉が聞かれる。そういう当人も、また、それより年上の人から” 今の若い者は”と言われてきた。この”今の若い者は”との枕詞は、言う当人が年で あることを示している。若いものと同じ年と思っている人にとっては”今の若い者は ”という言葉はない。

”年寄りの冷や水”を忘れる;”年寄りの冷 や水”という言葉より、年寄りを年寄りにする言葉はない。年だから、危ないからと 言って、やりたいことを避けたとき、確実に年を加えることになる。 冷や水を 気にしていれば なに出来る

教えるより教われ;もちろん、年の功と言っ て、年寄りは若者より知識が豊富である。そのため、どうしても若いものに教えるこ とになる。しかし、教わることも沢山あるはずである。常に、新しい知識への欲求と 教わるという謙虚さを持ちたい。このホームページも教わりながら作っている。

気持ちはゆったり肉体的にはせっかちに;< FONT COLOR="#000000">最近、理由もはっきりしないで突然”切れる”若者が増えて いる。しかし、年寄りが”切れる”のはいただけない。年と共に短気になる 人がいるが、それでは若いものに嫌われる。ゆったり、のんびりした気持ちでいたい 。しかし、肉体的にはのんびりして動作が遅くならないようにしたい。すべてに、無 理してでも先頭をきるつもりで肉体を動かすことが大切である。

止まるな歩め;人生の折り返し点をとうの昔 に過ぎたこの年では、何もしないでいれば後退の一方である。なにか目標をもって、 前を向いて進みたい。亀のような歩みでも、寝ているウサギを追い越すことができる 。前に進もうという気力がなければ、若者も年寄りと同じである。

仕事バカになるな;若いときには、週3日も泊 まり込みで仕事をしていた時がある。それでも、日曜日には登山やスキーに行ってい た。今はそんな無理もきかない。しかし、週日仕事に忙しく、疲れで週末寝て暮らすようなこ とはしたくない。色々な事に喜びを見いだしたい。仕事がなくなった時のために。

継続が大切;あることを習慣的に続いている 時はよいが、それが途切れ、再開しようとしたときに、なんとなく億劫になり、なかな か再開できなくなってしまう。そして、ブランクが長くなればなるほど再開が難しく なる。この億劫は年と共に強くなってくる。億劫にならないように続けたい。

 

しかしやっぱり年寄りでした

以上の文章を読んでいるうちに、やっぱり年取ったと感じる。若者はこんなことは書かないでやっている。こんなことを書いて自分を奮い立たせるようでは、やっ ぱり年寄りでした。

 

 

 (続けたい)

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